赤穂民報

関福大・加藤明先生の「応援します!かしこい子育て・教育・介護」【第22回】(12月12日)

【子育てとは、子離れ、子離しのための準備期間】
 今年もあと1カ月を切りました。振り返ると時の流れは速いものです。先生にとっては4月に担任として受け持った子ども達とも信頼関係ができ、あうんの呼吸で教育活動ができるようになっている頃です。
 1学期の頃は、前の担任の先生の方がよかったのにと思っていた子ども達も、いつのまにかずっと前からその先生が担任だったかのようにしっくりとけこんで学校生活を送っています。
 子どもの可塑性とはこんなに柔軟ですごいものかと驚きほっとするとともに、少し寂しい気持ちにもなるものです。なぜなら、旧担任の先生から見ると、子ども達の担任はずっと私であり、今は現担任の先生に子どもをちょっと預かってもらっているだけ、こんな気持ちでいるものだからです。
 そういう先生の方も、一方でいつのまにか前の子ども達より現在受け持っている子ども達のことで思いがいっぱいになり、そのクラスの担任に成りきってしまうから不思議です。
 これで子どもと先生の双方が独り立ちをし、めでたし、めでたしとなるわけです。ちょうど悲しい別れの後、新しい思い人ができて今はもう元気です、といったようなものです。
 子どもはいつまでも手元においておけない、いつまでも庇護できるわけではない。当たり前のことですが、実はこの認識が毎日の子育ての方向付けとして大切だと思います。
 かつて先輩の教師からこんなことを聞いたことがあります。子ども達を卒業させたらそれでその子達とのかかわりはもう終わり、このような潔さが大切だと言うのです。「何かあったら先生を訪ねて来いよ、いつでも相談にのるからね」。そんなことを言って相談に来られたら困るはずだというわけです。確かに一理あると思われませんか。
 卒業後もいつまでも慕われていたい、先生として存在し続けたい、そんなさもしさを捨てる勇気が必要だということです。「卒業したのだから、もう先生は必要ない。ひとりでやっていける強さと優しさを育てておいたから大丈夫」でなければならないのです。
 問われているのは、いつかは自立していかねばならないことを意識して、子育てにあたってきたかどうかです。子どものまわりにいる保護者や先生らの大人に求められるのは、子育てとは子離れ、子離しのための準備期間、その間にどんな力を付けておいてやらねばならないかを考えて子育てにあたることなのです。(関西福祉大学・学長)

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