赤穂民報

4年がかりで亡母の遺句集(6月4日)

 塩屋公民館サークル「天為塩屋俳句会」を創設し、平成20年に87歳で亡くなった加里屋の杉山倭文(しづ)さん(本名・シヅ子)の遺句集『母星(ははぼし)』が刊行された。
 故人が45年間に及ぶ俳句歴で遺した約5000句の中から468句を厳選。俳人としての歩みがよみがえる一冊となっている。
 若くして夫と死別した杉山さんは女手一つで家計を支えた。2児の子育てが落ち着いた42歳のころから知人の勧めで作句を始め、俳句雑誌に投句することが趣味となった。平成5年からは元東京大学総長の有馬朗人氏が主宰する俳句結社「天為」に投句。5年後に同人に推挙された。
 平成6年に結成した天為塩屋俳句会で約12年間にわたって講師を務め、一度も休んだことはなかったという。有馬氏を赤穂に招いた句会も2度開催した。
 遺句集は、長男の武文さん(71)=大阪市淀川区=が「母が生きた証を残したい」と刊行した。自宅に保管されていた俳句雑誌や日々の作句を書き残した手帳など膨大な中から作品を拾い出し、妻のミユキさん、妹の文代さんと3人で合議して選んだ。
 作風の傾向から前中後の3期に分けて作品を収録した。「あるなしの風に揺れ居り雪柳」は初めて雑誌に載った句。『俳句歳時記夏の部』(角川書店)に掲載された「卯の花のなだれ咲きけり一の谷」、地元の風景を詠んだ「色変へぬ松や赤穂の大手道」など。題名は、杉山さんが大好きだったという正岡子規の短歌「たらちねの母がなりたる母星の子を思ふ光我を照せり」から取った。選句に取りかかってから丸4年。命日に当たる5月27日に上梓した。
 杉山さんは生前に句集を出版したことはなく、自分史をまとめようとした矢先に病死したという。「母なら、どの句を選ぶだろうと思いをはせながら編集しました。思っていた以上に大変な作業でしたが、母も喜んでくれていると思います」と武文さん。150部印刷して親族や知人に配るといい、インクの匂いがする刷り立ての句集を遺影に手向けた。

(杉山倭文さんの遺句集『母星』を刊行した長男・武文さん)

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