赤穂民報

関西福祉大学リレーコラム・健康を守る(5)(6月25日)

【人生のステージと介護】
 −自分で起きられない、自分で着替えができない、自分でごはんを食べられない、自分でトイレに行けない、自分で行きたい所へ行けず、言いたい事もうまく言えず、思い通りならないと泣き喚く…−このような話を聞いた時、まず、一体この状況に置かれている人はどんな人だろうと思われるでしょうか。
 看護職の元同僚達が集まった会話の中で不意にそんな話が出ました。これだけの情報では詳細は何もわかりませんが、とにかくお世話が必要な人、自分達が看護師として患者様に接してきた体験をそれぞれ思い出して、どんなふうに患者様の日常を援助してきたか振り返る、そんな空気にその場が一変しました。
 それまで和やかに談笑していても、何か援助を必要とする人の話になると看護師の顔(使命感)を隠すことができないのは、日々、悩みながらも看護という仕事に真剣に向き合っているのだと思います。
 仲間たちが真剣にそれぞれの経験を思い起こした頃、その話を切り出した本人から「実はうちの2歳の息子の話なんだけど…」と。一瞬にしてまたその場の空気が変わります。間違いなく、その場にいた誰もがこの話を成人の話として、望まずしてその状況になっている人と受け止めました。
 話をした本人もあえて誤解を招くような話し方をしたわけですが、同じ様子でも、年齢や人生のステージが違えばその人に対する向き合い方も随分変わります。
 幼い子どもへの援助であれば、この状況はある期間は当然の事として、その命を守りながら元気に成長していけるように、また未来の可能性を見すえた教育的な関わりも必要になるでしょうし、成人となれば、可能な限り自立に向けて、また充実した時間を過ごしていけるように考えながら、本人とご家族なども含めた精神的な支えも大切になるでしょう。人生の最期を迎える時期であれば、これまでのその方の人生を尊重した関わりと残される人の安寧を考えた援助が必要となるでしょう。
 元同僚の話が幼い子どもだったと知らされた瞬間、その場の空気が急に軽くなりました。子どもは手がかかっても、成長の楽しみと手を離れる時期がやがて来ますが、成人や高齢の方の介護は、全く同じ状況でも、この先良くなるのか悪くなるのか、その状況がいつまで続くのか、介護に向き合う人にとって、先がわからない不安が常にあるからです。
 周りの看護職のそんな会話から、介護される人の人生のステージを頭に置きながら、先の見えない介護の中でも、“日常の出来事(変化)”を“子どもの成長”に換えて少しでも楽しむ、また“親離れ・子離れ”として、社会資源を使ってでも介護から離れる時間を取り入れる。そんなふうに見方を少し変えてみるのも一案です。(前川泰子・看護学部准教授)

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