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関西福祉大学リレーコラム・子どもが大人を「受容」するということ(8月13日)

 コミュニケーションには、言葉による言語的なコミュニケーションと表情、顔色、声のトーン、身振りなどの非言語的なコミュニケーションがあります。「目は口ほどにものを言う」ということわざにもあるように、言語的なコミュニケーションよりも非言語的なコミュニケーションの方が相手にメッセージとして伝わりやすいといわれています。
 大人と子どもが話をしている場合、話している言葉以外の、子どもの表情、視線の動き、声の調子や姿勢などにも配慮する必要があります。例えば、子どもがいじめや虐待を受けているときなど、「言葉で言いたくても言えない」状況に置かれることがあります。そういう子どもと関わるとき、言葉だけでなく、言葉にならない、時に言葉と真逆の気持ちや感情を受けとめる非言語的なコミュニケーションのためのチャンネルを大人がもつことが大切です。それによって、子どもたちが救われる場合もあるからです。このように子どもたちと言葉を交わすだけではなく、注意深く観察し見守ることも前回お話しした「受容」的姿勢の一つです。大人は様々なコミュニケーションのチャンネルを持ち「双方向性」のあるやりとりを通じて、子どもを「受容」していくことが求められています。
 さて、「双方向性」があるということは、子どもが大人を「受容」するという状況にもなるということです。子どもが大人を「受容」するとは、大人の与えた環境に子どもが順応するということであり、大人にとっての“いい子”になるということです。
 子どもは大人の保護がなければ生きていくことができない弱い存在です。特に教師と子どもの関係は、「教える側」と「教えられる側」、「評価する側」と「評価される側」などのように、非対称であり対等ではありません。気を遣う相手からの好意は断りにくいのと同じように、子どもにとって、教師からの自分への配慮や思いやりは受容するべきと思ってコミュニケーションしてしまう可能性があります。
 その結果、教師が期待するような『はい、わかりました』「『もう大丈夫です』「元気に遊んでいる」「勉強を頑張っている」などの子どもの言葉や行動を、そのまま本人の意志や気持ちそのものであると思い込んでしまうことがあります。
 ケアの精神の「双方向性」を生かすには、教師という立場や教師と子どもという関係の与える影響について、教師自らが自覚することが大切であり、これは子どものまわりにいる私たち大人にもあてはまることです。(市橋真奈美・発達教育学部講師)

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