赤穂民報

関西福祉大学リレーコラム・「いただきます」から始めよう(1月1日)

 「しつけ」は、「着物を仕付ける」に語源をもつことばです。仕付け糸は、着物が仕上がると外してしまいます。もう必要がなくなるからです。
 子育てのしつけも同じで、口うるさく言われなくてもちゃんと一人でできるようになること、他律から自律になって必要がなくなることがめざす育ちの姿です。漢字では「躾」と書きますが、まさに「身に付いた美しさ」なのです。
 でも身に付いて、一人前になるまでは口うるさく言うのも、まわりの大人の仕事です。口うるさく言っても大丈夫、子どもは、ぐれたりしません。この人は私のことを愛してくれている、だから言ってくれるんだ、と一直線に感じ取るからです。でも今はききたくないからきかないだけ、こう思っているのです。
 子どもが一人前になるために仕付けてやらねばならないことはたくさんありますが、そのなかの一つが感謝の気持ちとこれからの決意を込めての「いただきます」です。
 では、どのような感謝の気持ちを込めればいいのでしょうか。
 まずは、この食事ができるまでに携わった人の労力と時間、そして食材に対しての感謝があります。これについては「生命(いのち)をいただきます」とも言われます。
 次に、自分がこの食事を食べるにふさわしい行いをしたかを振り返ることです。ふさわしくない行いをしていたようなら、これからはちゃんとしますからと心につぶやくのです。そして、この食事をいただいて、これからも正しい心で恥ずかしい行いはしません、と誓いながらいただくのです。
 これは私が給食のときに子ども達にしつけてきた「いただきます」です。まず感謝の気持ち、そして今日を振り返り、これからもがんばるぞと決意して、楽しくゆっくりと友達と語らいながらいただく。私の「いただきます」は、道元禅師の「典座教訓(てんぞきょうくん)」に導かれてのものですが、これは今でも私自身の「躾」となり、身に付いているものです。おかげで、心が落ち着き、穏やかな気持ちで食事を味わうことができます。
 食事をいただけることへの感謝の後に、どんなことを振り返ればいいか、私流の、またはうちの家流のものを考えてみてはどうでしょうか。例えば、今日一日粘り強く最後までがんばることができたか、優しい気持ちとやさしいことばで友達に接することができたか等々、がんばっていること、がんばらねばならないことを振り返るのもいいと思います。
 大切なことは心静かに自分自身を振り返ること、できていなければこの食事をいただいてから、ここからまたがんばればいいのです。謙虚さと熱意をもって成長し続けようとする姿こそが、「躾」がめざすもっとも高いところだと思います。これは大人も同様です。(加藤明学長)

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