赤穂民報

関西福祉大学リレーコラム・第1回―公共を問い直す(1月28日)

 みんなにとって必要だから誰かがしなければいけないこと、みんなに関わる事柄を「公共」といいます。
 道路や水道の整備、治安、福祉などは公共の事柄なので、市役所や警察・消防といった公務員の方が対応します。しかし、公共はこれだけではありません。地域には自治会の仕事、学校にはPTAの役員、職場にも誰かがしなければならない業務があります。最も根本的なところでは、地域の政治も公共の事柄です。公共は「みんなの事柄」だから、当然、自分にも関係があるし、自分がしなければならない事柄もあります。
 では、私たちは普段、どのくらい公共のことを意識しているでしょうか。もしかしたら、公共のことを行う心(公共心)が弱まり、私たちは自分(私)のことしか考えられなくなっているかもしれません。これが、今回のコラムの背景にある問題意識です。
 ここでいう「自分(私)のこと」とは、自分の家庭や趣味という、いわゆるプライベートと呼ばれることだけではありません。仕事も含まれます。例えば、公務員の人でも、自分の役割しか行わず、「誰かがしなければならない業務」が生じたときに、それをしようとしなければ、公共心があるとは言えません。家庭にしても仕事にしても自分に関わる事柄が「自分のこと」であり、これに対して、みんなに関わるが故に誰かがしなければならない事柄が「公共」を意味します。
 公共の事柄に関する規範や価値観を道徳といいます。しかし、この道徳すら私的に使用されがちです。道徳の私的使用とは、自分の価値観を「これこそがみんなにとって大切なことだ」と押しつけることです。こうしたことも含め「自分のこと、自分の幸せ」を求めることが、逆に「自分を貧しくしてしまう」ように思えます。
 今回を含め5回にわたって、みんなの事柄(公共)を大切にすることが、結果として「自分を豊かにすること」、また、道徳の私的使用とは異なる「道徳の公的使用」といったものがあることをお話したいと思います。(中村剛・社会福祉学部教授)

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