赤穂民報
関西福祉大学リレーコラム・第4回―公共と論理(3月11日)
私たちは会議や話し合いの際に、時々話がまとまらず、「あの人とは議論にならない」とか「話が通じない」と思う場面に出くわします。
話し合い当事者のそれぞれに、立場、これまでの経験、価値観があり、それらに基づく主張があります。それらは互いに異なりますから、しばしば、主張は対立してしまいます。その結果、「あの人とは議論にならない」とか「話が通じない」となります。
こうなる根本的な原因は「論理に従うことができず、自分の主張に固執していること」にあります。論理とは「A、だから、B」とか、「AはBに含まれる」といったように、ある事柄と別の事柄の「関係」を意味します。簡単に言えば、「理」のことです。こうした論理は、理に適った形で自分の考えを整理することを可能にします。それゆえ、「論理とは、自分の主張を整理して、他者と分かり合うことを可能にするツール(道具)である」ということができます。
私が会議や話し合いの際に心がけていることがあります。それは、(1)私の主張も、他の人の主張も、公平に聴くことができる第三者(観察者)の視点に立って、話し合いをする、(2)そこでは論理(理)に従う、(3)論理(理)に従った話し合いの結果、自分の主張がおかしければ取り下げる、といったものです。
みんなで何かをしようという公共の場における話し合いでは、主張・意見は一致せず、感情的になってしまいがちです。そのようななか、それぞれの主張・意見を調整し、合意や納得をもたらすものが「論理」です。論理こそ、みんなに関わり、みんなが従うべきルールであり、公共(みんなに関わる事柄)そのものです。
自分の利益や主張を超えて、自分も含めた多くの人の合意や納得を生み出す「論理というもの」を、公共という観点からも大切にしたいと思います。(中村剛・社会福祉学部教授)
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