赤穂民報
関西福祉大学リレーコラム・第5回―公共の可能性(3月25日)
公共をテーマにコラムを書いてきましたが、今回(5回目)が最後となります。公共とは、みんなに関わる事柄、みんなにとって必要だから誰かがしなければならないことを意味します。
ところが、「誰かがしなければならないこと」は「誰かがすればいいこと」であり、「自分でなくてもいい」とすり替えられてしまいます。この場合、PTAの役員や民生委員のように、「自分でなくてもいい」とみんなが思ってしまう結果、成り手が決まらない、となります。
こうした状況のなか、改めて公共の意義について考えたいと思います。公共の事柄は、誰かがしなければならないことですから、それは「お役に立つ」ことです。すなわち、「公共」は、一人ひとりが有する義務や責務を育み、人とのつながりを生み出し、その結果、生(生きること)の充実をもたらします。ボランティアや支え合いの活動は、まさに、そうした活動です。
権利に比べると義務がもつ大切さは分かり難いように思います。公共に関する活動は、そんな義務の大切さを気づかせてくれます。
このような公共の活動をするとき、気に留めてもらいたいことがあります。それは、相手の人(介護や支援を受けている人)の気持ちです。ボランティアや介護をしている人は、役に立つことを通して生の充実感を得ることができます。では、相手の人はどうでしょうか。介護を受ける人も、何らかの形で、お役に立ちたいと思っているのではないでしょうか。そこに気づき、その人ができることを見出し、その人が人に役立つことをすることで、生の充実を感じられるようになる。それこそが「かしこい福祉」であり、「公共」が宿している可能性であると思います。(中村剛・社会福祉学部教授)
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次回からは発達教育学部の新川靖助教(道徳教育)のコラムです。引き続きご愛読ください。
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