赤穂民報

関西福祉大学リレーコラム・小学校の教室から学んだこと(5)(7月1日)

〜道徳教育って何?〜 
 来年度から道徳が「特別の教科」になります。「道徳は教えることができるの?」「みんなが同じ価値観をもつようになるの? それがよいことなの?」という声も聞こえます。
 これまでも道徳の時間といってお話の資料を使って考える時間がありました。でもこの時間には、教科書がなかったり、評価がなかったりしたために、学校や先生による差も大きかったのです。いじめの問題に端を発し「心の教育」の充実が求められて、特別の教科となりました。
 さて、道徳を学ぶとはどういうことでしょう。
 例えば「うそをついてはいけない」「いじわるをしてはいけない」ということは、みんな知っているけれど、行動することは難しいのです。(「何度も言っているじゃない!」って叱ることはよくありませんか。)
 つまり、何が正しいのか知っていることは、ほんの入り口にしか過ぎないのです。小さい子どもたちは、道徳に関して、大人たちから強い影響を受けます。大人の言うことが「正しい」ことなのであり、ほめてもらえることや叱られることが「よい行い」をする基準となります。
 しかし、年齢が上がると、自分自身で何が良いかを判断し、どうすればよいのかを考えるようになります。その時には、様々な見方をしていく力も付けていく必要があります。例えば、失敗して落ち込んでいる友だちがいたとします。皆さんならどうしますか。
 声をかけるという考えがあります。どんな言葉で声をかけますか。それともあえて、そっとしておきますか。だとしたら、それはなぜですか。どんな考えであってもきっと「友達に対して優しくしたい」という基本的な価値観は同じです。きっと一人一人の考えはそう考えた理由を含めると全く同じにはなりません。それは、その人自身のこれまでの経験が違うからです。友達の気持ちの中の解釈も違ってくるでしょう。
 道徳の授業とは、自分のこれまでの経験から導かれた考え方を明らかにし、そして、他の人と話し合うことで違いに気づき、これまでよりも考え方や感じ方の幅を広げ、それらを確かなものへとしていく時間なのです。
 先ほどの問題を、ぜひお家でも話し合ってみてください。きっとお子さんの今の考え方が見えてきますよ。時には、お家の人があえて違う立場に立ってどんどん質問してみると面白いかもしれませんね。
 さて、5回にわたり私の体験にもとづいて、これまで考えてきたことをお伝えしてまいりました。このコラムが「かしこい子育て」を考えるきっかけになれば幸いです。お付き合いいただきありがとうございました。(新川靖・発達教育学部助教)
   * * *
 次回からは看護学部の竹村淳子教授(看護学)のコラムです。引き続きご愛読ください。

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