赤穂民報

関福大リレーコラム・真の豊かさとは何か(5月26日)

 三十年前、小学校高学年だった私は当時打ち込んでいた野球のための体力づくりを念頭に、新聞配達のアルバイトを始めました。両親は当初反対していましたが、いつしか家族全員が早く起床するようになり、応援してくれました。
 今思い起こしても、それは毎日のことでしたので楽なものではなく、正直大変だったなという思いの方が強いです。ただ、配達宅の方と毎朝交わす挨拶や御礼を述べて頂くことを通じて、自らの責任や周囲からの期待を子どもながらに感じていました。
 さて、昨今の新聞の話題としては、政治問題や北東アジア情勢がトピックスとなっています。また、国民生活に関する話題では老老介護や育児問題といった必ずしも穏やかでないニュースが目に留まります。特に、自宅で介護する高齢者がさらに高齢の身内を殺めたり、些細なことで親が自分の子どもを折檻の末に大怪我を負わせる等、胸の痛くなる報道を頻繁に目にします。残念ながら、こうしたことは既に日常的に起こる事態に至っていることから、危機的状況と言えます。
 豊かさという概念は、何を視点に捉えるかでさまざまです。一見すると、この国は世界で最も豊かで、且つ発展した国として諸外国からは見られています。しかしながら、果たして本当の意味での豊かさを手に入れたか否かはわかりません。むしろ、生活上の便利さは日々実感できますが、そうした豊かさと引き換えに、従来日本人が大切にしていた人間性のようなものが失われつつあるかもしれません。
 この国では、長く「家」ないし「家系」が重視され、また「村」や「町」といった単位で生活が営まれてきましたが、今日においてはあらゆることで「個人」が重視されるようになりました。世代を問わず、「個」の幸せを優先する傍ら、他者の幸せを相対的に軽視、あるいは関心そのものが低下したのかもしれません。その結果、介護や子育てといった、これまで家族あるいは地域社会が一体となって成してきた協力体制とも言うべき風習を希薄にさせたように感じます。顔を合わせて、挨拶を交わし、頼る者を支える者が自然と手を差し伸べるような、人間的な豊かさが失われた気がしてなりません。古き良き日本人が有していた、情に厚く、心を通わせ、互いに支え合って生きていくような、人間味のあるセーフティーネットのようなものが今また必要なのかもしれません。(看護学部教授・掛田崇寛)
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 次回は看護学部の川西千惠美教授です。お楽しみに!

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