赤穂民報

私のこだわり(7)義士祭見物(12月1日)

 
◆柴田善明さん(73)=横浜市鶴見区
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 今まであんまり人に言ったことなかったんだけど、40年間欠かさず義士祭を見物しています。はい。昨年がちょうど40回目でした。証拠と言えるかどうかわかりませんが、義士祭当日に播州赤穂駅の入場券(初乗り切符)を買って、赤穂郵便局で「1214円」貯金をしています。
 僕は昭和20年9月の生まれなんですけど、生まれる約2カ月前に父が戦死して、母が女手一つで育ててくれました。小学4年のとき、「お前に見せたいところがある」と母に連れていかれたのが泉岳寺。「お前のお父さんはね、お国のために亡くなった。殿様のために討ち入った赤穂義士と同じなんだよ」と。
 それが、ずっと心に残ってて、大人になって名古屋で働いてたとき、昭和53年なんですけど、初めて赤穂を訪れました。12月14日に義士祭があるというのは知ってたんで、その日に目がけて。
 まだ昔の駅舎でね。お城通りも狭かった。花岳寺、大石神社、赤穂城を回ってね。「この道を大石内蔵助や義士たちが歩いたのか」と思ったら何だかぐっときちゃってね。何より義士行列に感激しました。で、来年も来るぞと。
 翌年以降も12月13日に仕事が終わったら電車に飛び乗って、一旦姫路で泊まって、14日朝に赤穂に着いて義士祭を見て、見終わったら電車に乗って帰るということを続けました。会社は有給を取ってね。いつの間にか、それが当たり前になった。最近は2泊3日が多いですね。
 40年も来てると赤穂の知り合いも増えました。僕はだいたい息継ぎ井戸に近い交差点のあたりでパレードを見るんだけど、近くのテントでお昼を食べてて相席になった地元の方と仲良くなってね。それ以来、赤穂に来るたびにお宅におじゃまさせてもらってるんですよ。
 とにかく、赤穂が大好き。自宅の玄関には、これまで赤穂に行く度に買った忠臣蔵グッズや土産物がいっぱいです。いっそ赤穂に引っ越そうかと思ったこともありますよ。家族には「俺が死んだら、灰を赤穂の海にまいてくれ」と本気で言ってます。家族はあきれてますね(笑)。
 印象に残っている義士祭ですか? いつだったか雪が降る中で行われた年がありましたよね。あと、スターパレードで沢口靖子さんが来られたとき。きれいでしたね〜。でも、どの年も自分にとってはかけがえのない思い出です。
 ちょっとさみしいのは義士祭の人出が昔に比べて少なくなってることですね。以前は歩けないくらい混み合ってたもんね。見物に来た人が参加できるようなタイプの楽しめるイベントというか、コーナーがあるといいのになと思います。
 赤穂に来るとき、電車の窓から街並みが見えてくるでしょ。嬉しくなってくるんですよ。イオンの看板が見えるころになったら、もう興奮しますね。ホームに着いて「播州赤穂」の看板を見ただけで感極まって泣いちゃったときもあります。
 逆に帰りの電車は切なくてね。「あー、今年も終わったな」と。あ、僕にとっての大みそかは12月14日なんです。その日で一年が終わって、翌日から新たな一年が始まる。毎年手帳を買ったら真っ先に12月14日の欄に「義士祭」と書き込んでます。
 松の廊下も討ち入りも、起こったのは江戸、という人もありますけど、ルーツは赤穂。だから僕にとっての聖地は赤穂。赤穂に来ないとだめ。これからも命の続く限り、絶対に来ますよ。今年の義士祭ですか? 来るに決まってるじゃないですか!

(赤穂義士祭を40年連続で見物している柴田善明さん)

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