赤穂民報
関福大リレーコラム・地形にふれてみましょう(8月24日)
皆さんの周りには、これまで長い年月をかけてできた地形があります。何気なく見ている地形を親子で積極的にかかわることを奨めます。地形に触れ、その特徴を知り、どのようにしてできたのかを理解すると親しみがわきます。
岡山県の牛窓(瀬戸内市)の瀬戸内海には、大多府島、黄島など大小の島々が浮かんでいます。その中の一つ、大多府島は、周囲5キロメートルほどの島で、北岸には、自然の地形を活かした港があります。島の南岸は奇岩に富み、大小の洞窟があります。また、黄島は、無人島ですが、縄文時代の遺跡があります。夏の間はキャンプ場となっています。これらの島には、たくさんの洞窟があります。大多府島の代表的な洞窟は「勘三郎洞窟」と呼ばれています。また、黄島には、大きな洞窟はありませんが小さな洞窟がいくつかあります。
これらの洞窟は、海食洞といわれ、海岸に面した崖にできます。崖の中で、割れ目など比較的弱い部分に波が打ち寄せて穴を開けます。中には、岩を通り抜け、トンネルのようになった所もあります。また、こうした海食洞の近くには、ベンチのように広くなった部分もあります。
これらの洞窟や平らになった波打ち際の海蝕棚(ベンチ)を利用して、大昔に私たちの祖先が生活をしていたと思われる跡があります。海の魚や海草などをとり、雨風を防ぐ洞窟の中で煮炊きをしたり、眠ったり、ベンチで様々な活動をしたりしたと考えられます。
こうした洞窟やベンチは、そのときの気候によって、様々な高さに作られます。その洞窟の中や崖をよく見ると昔の人が残した燃えかすやその時代の火山の爆発で飛んできた物、貝殻などの食べかすなどが残っている場合があります。
それらを年代測定すると、洞窟がいつの時代にできたのか分かります。暖かな時代の洞窟は高いところにでき、寒い時代の洞窟は低いところや海の中にできています。こうしたことを調べて分かることは、縄文時代のはじめと終わりの頃、弥生時代、平安時代は、今より暖かだったことです。
縄文時代には、人間の活動が盛んになったことや弥生時代には米作りが盛んになったことと関係します。赤穂の海の周りにもこのような洞窟を探してみてください。それらは、いろんな高さの所にあることや波の力によって作られたことなどに思いをはせながら、自然の力の大きさを感じてください。(小野間正巳・教育学部児童教育学科教授)
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