赤穂民報
市内最大の山城 住民らルート整備(9月19日)
山城では赤穂市内最大の有年山城へ登る新ルートを地元の東有年自治会(沖知道会長、153世帯)が整備。道沿いの木にピンク色のテープを結び、見どころを示すプレートを取り付けた。城郭跡の山頂部には敵の侵入を防いだ6つの曲輪や素掘りの溝、土橋などの遺構があり、遠く播磨灘も見える眺望が楽しめる。
有年山城は東有年・有年楢原地区にまたがる大鷹山(標高201メートル)にあり、東に千種川が流れ、南に西国街道が通る。市教委発行の『文化財をたずねて』第27号によると、播磨国守護だった赤松範資の子、本郷直頼が初代城主として暦応年間(1338〜42)に居城したとされる。天正5〜7年(1577〜79)には、中国地方へ侵攻した羽柴秀吉の軍勢が毛利・宇喜多勢と戦い、史料に「八幡山」の城として記録されている。
それ以降は歴史の舞台に登場することはなかったが、地元では「城山」や「八幡山の城」の呼び名で古城跡と伝えられ、山頂部を「城台(しろんだい)」と呼ぶ。南側のふもとにある東有年八幡神社の参道奥から約40分で登れるが途中に急峻な場所があり、近年は訪れる人はほとんどなかったという。
自治会は「地元の歴史遺産を知ってもらえるように、もっとたくさんの人が登れるルートを整備しよう」と、一昨年から作業に着手した。数人ずつチェーンソーや鎌を持って月1回のペースで山に入り、八幡神社口の北東約100メートルにある片山薬師堂から、かつて山の中腹にあった炭焼き場を経由して曲輪跡へと続くつづら折りの山道を2年がかりで再開拓。木が生い茂っていた山頂部を伐採し、本丸跡に「有年山城跡 つわものどもの夢のあと」と記した木製看板、登山者の記帳ノートを入れておくポストを設置した。
整備には40代から70代まで20人を超える地元住民が交替で参加した。ほぼ毎回の作業に加わった岩本泰夫さん(65)は「子どもや高齢者にも登りやすくなった。休憩用のベンチを置いたり、もう少し整備したい」と意欲。山城から東へ尾根伝いに400メートルほど進めば赤穂で初めて前方後円墳が見つかった放亀山古墳群があり、そのまま有年公民館方面へ下ることもできる。今後、案内マップを作って公民館などで配布する予定で、寺内正さん(70)は「健康増進の山歩きを兼ねて、郷土の歴史に触れてもらえれば」と話す。
片山薬師堂は国道2号「東有年」交差点から北約100メートルを東折した奥。登山口にある獣害除け金網ゲートの閉め忘れに注意。同交差点の南約100メートルを東折してすぐの「宮前待合所」の空き地に駐車スペースがある。
(地元住民の手で登山ルートと看板が整備された有年山城跡)
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