赤穂民報
関福大リレーコラム・正しく生きるための第三歩〜良い結果を導く行為(4月3日)
私たちは幸せになるために生活を営んでいます。しかし漫然と幸せを念じていても実現しないので、「どう生活すれば、幸せになるのか」を考えなければなりません。
その一つとして「義務論」があります。具体的には「約束を守る」「嘘をつかない」といった誰もが守るべき決まり事、すなわち「義務」に従えば幸せは実現する、という考え方です。
ところが、義務に従うことで、返って混乱に陥ることがあります。例えば「友達との約束の時間を守るために、困っている人を見過ごす」といった場合はどうでしょうか。私は「約束を守る」という義務に従っているので幸せが実現します。しかし、「困っている人を見過ごした」という後悔の念や、困っている人は「見捨てられた」という思いが生じることでしょう。
こう考えると、義務に従えば幸せが実現すると主張するには、少し無理があるように思います。
この場合は、友達には約束の時間に遅れた理由を説明することにして、困っている人を助ける方が、幸せが実現しているように思えます。
このように、予測される結果の良さに基づいて行動をする考え方を「功利主義」といいます。
功利主義は、よく「最大多数の最大幸福」で説明されます。例えば税金の徴収や新薬の治験などは、結果として全体の利益を最大化することが期待できるので、正しい行動であると主張できます。
ところが税金に苦しむ人たちがいる、新薬の治験には未知の副作用があるなど、「全体の利益を促進するためには、一定の犠牲が生じる」という問題を抱えています。また、「幸せ」を数として合計することが難しいので、「全体の幸せ」といった場合、独占された大きな幸せを意味してしまう危険性もあります。
義務論、功利主義とも「幸せの実現」を目指していますが、それぞれがたすき掛けの関係にあります。したがって私たちに問われているのは、これらの考え方に基づいて、自分はどのように行動すれば良いのか、よく考えることだといえます。(社会福祉学部社会福祉学科准教授・岡崎幸友)
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