赤穂民報
内蔵助や家族の私信60通 交友知る貴重資料(3月20日)
大石内蔵助良雄や妻のりくに宛てた書状や内蔵助ら家族が書いた手紙の下書きなど計60通を巻子に表装した資料「赤穂大石家文書巻」を赤穂市立歴史博物館が入手。同館2階の義士コーナーでこのほど初公開した。
2本の巻子に表装され、宛所が判明した43通のうち内蔵助またはりくに宛てたものが31通。瀬尾孫左衛門、安井彦左衛門など家来宛てのものが4通ある。また、差出人や筆跡から内蔵助や長男松之丞(主税の幼名)、二男吉千代が書いたとみられる書状が計10通あり、これらは下書き、あるいは書き損じとみられる。
文書群を調査、分析した同館の木曽こころ係長によると、内容などから「内蔵助が存命中の元禄年間にやりとりされ、同家が一定期間保管していたものと考えられる」という。多くは墨で汚れ、部分的に欠損しているが、「保管中、反故紙として大石家で手習いにでも利用したためではないか」と推測される。
内蔵助が義父の石束源五兵衛に宛てた手紙は、豊岡藩主・京極家の家老だった源五兵衛に京極家の参勤日程を尋ねる内容。自身の近況も伝えている。瀬尾孫左衛門が同じく家来の構三郎兵衛に宛てた書状は、石清水八幡宮の太西坊住職だった内蔵助の実弟・専貞の跡を継いだ内蔵助の養子・久丸(後の覚運)に付き添った孫左衛門からの報告。専貞の病状が悪化しており、前日に久丸のお披露目を無事に済ませたことなどを知らせている。書状の日付は「八月二十一日」で、専貞が亡くなった元禄11年8月22日の前日と推定できる。この書状により、覚運の幼名が久丸だとわかる。
内容は墨で汚れて判読できないが、大野九郎兵衛から内蔵助への書状も見つかった。木曽係長は「大石家周辺の書状がこれだけまとまって見つかることは極めて稀。同家の交友関係を知る上でも貴重だ」と話している。
同館に新たに寄託された忠臣蔵関係の日本画などと合わせて計11点を8月下旬まで公開する。入館料200円(小・中学生100円)。午前9時〜午後5時開館(入館は4時半まで)。水曜休館。TEL43・4600。
(「赤穂大石家文書巻」などを公開している赤穂市立歴史博物館の義士コーナー)
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