赤穂民報
山鹿素行が築かせた石垣 赤穂城二之丸門(2月18日)
赤穂市教育委員会が赤穂城二之丸門周辺で行った発掘調査で、虎口の城壁に継ぎ足すように拡張された石垣が出土した。
二之丸門の虎口をめぐっては江戸時代の軍学者、山鹿素行が縄張を改めたことが知られ、市教委は「素行が築かせた拡張石垣の可能性が高い」としている。
発掘調査は二之丸北城壁整備の基礎資料とするために昨年度から2か年計画で行われ、二之丸門が位置したとみられる周辺や城壁が屈曲する地点など7区計285平方メートルを調べた。
その結果、二之丸門の北側で、埋没した石垣から西に張り出すように新たな石垣が組まれていたことが判明した。今回の調査区の虎口をはさんで向かい側にある枡形城壁で市教委が2002年度に行った発掘調査でも城壁を延長するように「L」字型に拡張した石垣が出土している。両方の石垣の拡張により、当初の縄張で最も狭い場所で約10メートルだった虎口の幅は5メートルほどに狭まったとみられる。
赤穂城は赤穂藩浅野家初代藩主の浅野長直が家臣の近藤正純(1604―62)に築城設計を命じ、慶安元年(1648)より13年以上にわたる歳月を費やして寛文元年(1661)に完成した。素行は承応元年(1652)に兵学師範として長直に召し抱えられ、翌年9月25日から約7か月間、赤穂に滞在。来穂から20日ほど経った承応2年10月15日の日記に「太守二郭の虎口を縄張す。僕を招きて談ず。太守自ら其の地に臨み、群臣列び共す。僕間縄を取り改め直す」と太守(長直)や家臣らが見ている前で虎口の設計を変更した旨の記述があるが、どのように改めたのかは明確ではなかった。
市教委文化財係の荒木幸治係長(46)は「今回の調査によって、素行が二之丸門への侵入口を狭めるために拡張部分の石垣を築かせた可能性が高いと言える」とした。
今回の調査では、二之丸門北側石垣の角部分(出隅)を示す「隅石」も出土した。市教委は「まだ、多くの推定を含むものの、二之丸門の位置と構造がかなり明らかになった。今後の復元整備に役立てたい」とし、一般向けの現地説明会を2月26日(日)午後1時半から開く。本丸門前集合、小雨決行。問い合わせはTEL43・6962。
(山鹿素行によって拡張された石垣などが出土した赤穂城二之丸門周辺の発掘調査現場。棒で指している先にあるのが「隅石」)
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