赤穂民報
関福大リレーコラム・幸福に生きる(4月1日)
前回は、「生きる」というテーマについてソクラテスの最期を引き合いに出しながら考えました。ソクラテスは、ただ単に生きるのではなく、よく生きることが重要と述べましたが、今回は人生の目的のひとつ、「幸福」というテーマについて、ローマのストア派の哲学者、セネカの思想から考えましょう。
セネカは『幸福な生』という著作において、次のように論を展開しています。
要点をかいつまんでいうと、(1)幸福に生きることは誰しも抱く願望である。(2)しかし、幸福をもたらしてくれるものが何かを考えると、その答えはなかなか見つからない。(3)そもそも幸福な生を達成することは容易ではないので、慌ててしまうと幸福な生から外れてしまう、と。
セネカの指摘は、現代を生きる私たちも納得がいくものです。私たちは誰しも幸福になることを目指して生きていますが、やはりそれは実現が難しいものです。幸福になろうと思って色々と計画したところで、失敗に終わるのが関の山です。
では、私たちは幸福になることができないのでしょうか。決してそうではありません。そもそもセネカが提示する「幸福」とは実はもっとシンプルなものなのです。
セネカによれば、幸福とは、たとえば、お金持ちになったり、良い車に乗ったりなど、「所有」に関するものではなく、また、宝くじに当たったり、社会的に高い地位を得たりなど、「偶然」に得られるものではありません。そのようなものではなく、心が健全で、平静さを保ち続けること、勇敢で情熱的な精神を持っていること、自分の身体、健康に気を配り、自分が交わる人々への気遣いを忘れないことが重要であり、セネカはこれらを最高善と呼び、その探求が幸福につながると主張しています。
新型コロナウイルス感染症の拡大やロシア・ウクライナの戦争の中で、希望が持てない暗い社会ですが、誰しも幸福な生を送れる世界が来ることを祈りたいですね。(中田浩司・教育学部児童教育学科講師)
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