赤穂民報
関福大リレーコラム・死を想うこと(5月13日)
私たちは、これまで「生きるとはどういうことか」、あるいは「幸福とはなにか」という哲学的な問題について考えてきましたが、最終回の今回は、「死」について考えていきたいと思います。
私たち人間は「生・老・病・死」、つまり生まれて、老いて、病気となり、やがて死んでいく、避けられない苦しみ(仏教ではこれを四苦と言います)を持っています。そのなかでも私たちにとって最も恐ろしい苦しみとなるのは「死」ではないでしょうか。
なぜ、「死」が恐ろしいものとなるのでしょうか。それは、人間にとって死は経験できないものであり、想像力が及ばない、また死を想像することによって死がより一層意識され、不安が煽られるからであると言っていいでしょう。
では、私たちは、どのようにすれば良いのでしょうか。古代ギリシャのエピクロスは次のような非常にシンプルな回答を用意しています。つまり、「死は私たちにとって何ものでもないと考えることに慣れるべきである」と。私たちは死を経験できない以上、それについて思いをめぐらすよりも、毎日の生を充実させなさいというエピクロスからのメッセージではないかと私は考えています。
ラテン語の言葉にMemento mori. Carpe diem.(メメントモリ・カルペディエム)という表現があります。日本語では、「死を忘れるな、その日をつかめ」と訳されます。人間は永遠に生きられないからこそ、一日一日、充実した生を送らなければならないという言葉です。刹那に散りゆく運命にあったとしても咲き誇る桜の花のように、自らの人生を輝かせて生きていきたいですね。
さて、4回の連載もこれで終了です。私の拙文が、少しでも読者の皆様の関心を引いたり、人生のヒントになったりしたならこれ以上の喜びはありません。ご清覧ありがとうございました。(中田浩司・教育学部児童教育学科講師)
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次回からは看護学部講師の宮脇智子先生が担当します。お楽しみに。

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