赤穂民報

関福大リレーコラム〜言葉の向こう側(3月23日)

 赤ちゃんは、言葉の代わりに"泣く,,ことで空腹や苦痛など不快や危機を周囲に伝え、生きるために働きかけます。それに気付いた周囲の人は、泣き声だけでなく顔色をはじめ全身から発せられるサインや周囲の状況などを総動員して泣きの意味を理解に努め、不快を快に変えようとするものです。

 ところが、子どもが言葉を覚え使えるようになるとどうでしょう。便利な道具(言葉)によるやり取りが増えるにつれ、子どもの言葉にならない(できない)感覚や気持ちへの関心が(自分自身も含め)無意識のうちに悪気なく薄れ、言葉以外の情報をキャッチする感度が鈍りがちなのではないでしょうか。

 近年わが国の児童生徒にみられるいじめ・不登校の増加は、生きづらさを抱えている子どもが私たち大人に心の危機を訴え、問題を提起しているサインのように思えてなりません。

 私自身、子どもから「何もしたくない」「もうどうでもいい」「友達なんかいなくていい」などネガティブな響きの言葉を耳にして切ない気持ちになることがあります。が、一方で、そんな言葉の向こう側に「〇〇したい…けれど失敗するのが怖い」「〇〇できるようになりたい…けれど自信がない・どうすればいいかわからない」「自分なりに頑張っている(頑張ろうとしている)…これ以上頑張れない・けれどうまくいかない」「友達は欲しい…けれど一人でいる方が傷つかないから一人でいる」など、より良い状態を求める欲求や願いがあるからこその辛さや、何とかしようと力を振り絞って踏ん張っている姿に頭が下がることもしばしばです。

 様々な対策が講じられているにもかかわらず、児童生徒の自殺者数も増加の一途をたどっています。かけがえのない命を自ら断つまでに追い込まれることがないよう、言葉の向こう側にある言葉にならない(できない)気持ちや思いに気付いて丁寧に受けとめ、寄り添い支える関わりができる大人でありたいと自戒するこの頃です。(教育学部児童教育学科教授・三木澄代)

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