赤穂民報

「オホサケ神」は“まちづくりの神”(11月26日)

 赤穂市立図書館が3回シリーズで開く講座「播磨の歴史と文学―秦氏伝承を探る」の初回が24日にあり、京都市歴史資料館の井上満郎館長(72)が「秦河勝の実像とオホサケ神」と題して講演。約100人が聴講した。以下抄録。
 秦河勝の名が歴史上の文献に現れるのは4回しかないが、聖徳太子の側近として外交、国内統治に関わり、熱心な仏教崇拝者だったことが読み取れる。
 河勝を生んだ秦氏一族がいつ渡来したのか。その手がかりになるのが、平安中期の文献『政事要略』で、秦氏が現在の京都市右京区にあたる一帯で「葛野大堰」を造築したことが書かれている。その地域では5世紀中葉に突如として首長墓が築かれ始めており、おそらくこの時期に秦氏による灌漑工事が行われたとみてよい。
 「オホサケ神」は秦氏一族の氏神だ。「オホサケ」には「大酒」「大辟」のほかに「大裂」の字を当てる説がある。「裂く」には「開発する」との意味があり、「オホサケ」は「大いに土地を開発した」と解釈するのが妥当だろう。
 記録によれば、かつて旧赤穂郡内には少なくとも大避神社が28社あった。他地域に比べて突出して多く、それだけ「オホサケ神」を信仰する人たちが多く居住していたことを示している。
 秦氏一族をはじめ、朝鮮半島からやって来た渡来人が日本の文化、文明を大きく推し進めた。旧赤穂郡においても在野の人たちと一緒になって地域開発を果たしたのだろう。数多く残る大避神社はその名残と言える。
  * * *
 同講座の次回以降の開催は次のとおり。無料。申込みはTEL43・0275。
 ▽12月8日(土)=「考古学と播磨の渡来伝承」寺沢知子・神戸女子大学文学部教授
 ▽12月22日(土)=「司馬遼太郎の作品について」玉田克宏・姫路文学館課長補佐

(秦氏一族と「オホサケ神」との関連について講演した井上満郎・京都市歴史資料館長)

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