赤穂民報

「黒崎墓所」で続く月例清掃(5月27日)

 赤穂近海を航海中に亡くなった船乗りや旅人がかつて葬られた坂越洞龍の「黒崎墓所」=兵庫県史跡=で、地元老人会が毎月行っていた清掃を「坂越歴史研究会」(篠原明会長、会員数13人)が今年度から引き継いだ。
 江戸期以降、諸国廻船の寄港地として栄えた坂越浦。湾の西南端の黒崎は海難事故や病気で客死した人の土葬地で、「他所三昧(よそざんまい)」または「船三昧」と呼ばれた。古文書の記録によると、埋葬された人の数は出羽、肥前、薩摩など少なくとも29カ国130人。現在は市所有の敷地約188平方メートルに大小さまざまな墓碑約60基が残る。石質が異なるのは、被葬者の出身地で採取した石に文字を刻んで運んだためと思われる。
 墓所の堂宇には地蔵尊が1体安置されている。台座の碑文を記した説明板などによると、庄屋の大西吉郎右衛門吉綏(よしやす)が文化8年(1811)に羽州酒田(現在の山形県酒田市)から取り寄せた。もともとは元禄12年(1699)に酒田で亡くなった先祖の墓じるしとして当地の寺院へ送った石仏。宗旨違いで安置されなかったため吉綏が取り戻し、盛大な法要を営んだという。
 その後、墓所はいつしか歴史に埋もれて荒廃するが、昭和55年に市と地域住民が再整備。平成4年3月に県史跡の指定を受けた。墓所が高層マンションの敷地に囲まれた13年以降も市教委が管理会社に出入り通路の確保を申し入れ、地域の高齢者グループ「第三宝珠会」が月1度の掃除と毎年8月の法要を続けてきた。
 しかし、同会が今年3月で解散。「再び荒れさせるのはしのびない」(篠原会長)と歴史研究会が4月から後を引き受けた。初回は敷地を掃き清め、吉綏の縁戚になる大西孜さん(84)の読経で供養。2度目の奉仕日となった26日は植え込みを整枝した。
 第三宝珠会の会長として8年間供養を続けた戸辺明さん(83)は「責任を果たせなくなることを思い悩んでいたので、跡を継いでくれることは本当にありがたい」と感謝。篠原会長(76)は「先人が大切にしてきた郷土の文化財をお守りしていきたい」と今後も第4日曜日の午前に活動する。

(坂越歴史研究会が月例清掃を受け継いだ黒崎墓所)

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