赤穂民報

伊部の山中に白蓮歌碑を訪ねて(9月12日)

 才色兼備の情熱的歌人として大正から昭和にかけて活躍した柳原白蓮(やなぎわら・びゃくれん、1885−1967)が詠んだ短歌の石碑が備前市伊部にあると聞き、現地を訪ねた。
 歌碑はJR赤穂線伊部駅から南東に直線距離で約0・6キロ、備前焼作家・榊原清人さん(74)が所有する「姑耶山(こやさん)」の中腹にある。高さ約1・6メートル、幅約1・4メートルの自然岩にはめ込まれた備前焼の陶板(縦37センチ、横66センチ)に、「あひがたき 天と大地と和田津海と 極みのはてに あひよるを見る 白蓮」と本人の筆跡が刻まれている。
 白蓮は夫・宮崎龍介と旧知だった伊部生まれのインド研究家で文筆家、原田十兵衛の誘いで昭和36年に備前を訪れ、当時力を注いでいた国際平和運動をテーマに講演活動を行った。榊原さんの父で備前焼粘土研究家だった勤さん(故人)が姑耶山に建てた茶室「陶里菴」で原田らと語らい、勤さんの山荘「有楽荘」に宿泊した。歌碑の短歌はそのときに詠んだ2首のうちの一つ。「白蓮さんが伊部に来た証に」と勤さんら有志が小豆島から岩を取り寄せ、37年に建立した。
 榊原さんは白蓮が姑耶山を訪れたときのことを今でもよく覚えている。
 「白髪で小柄な方。お辞儀一つにも品格があった。品性がある人とは、こういう人のことを言うのだと思った」
 白蓮は備前からの帰途で失明し、翌年の歌碑除幕式には龍介が代わりに出席。それから5年後の昭和42年、81歳で波乱の生涯を閉じた。榊原さんは「白蓮さんが伊部を訪れていたことを多くの人に知ってほしい」と歌碑と茶室を守り続けている。春にはサクラ、秋にはモミジが一帯を美しく彩るのだという。

(歌碑を前に柳原白蓮の思い出を語る榊原清人さん)

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