赤穂民報
【社説】今こそ中学生の底力を(11月1日)
赤穂市内の中学校で起きた生徒指導中の体罰。本紙ホームページの読者投稿欄には10月29日までに110件を超えるコメントが寄せられ、関心の高さがうかがえた。気になったのは、今回の事案を「教育的指導の一環」として容認あるいは是認する意見が多かったことだ。
体罰は、受けた側に身体的、精神的なダメージを残す恐れがある。仮に、その場はうまくいったとしても、その子はやがて「体罰は悪くない。なぜなら、私もたたかれて育ったから」と暴力を肯定する大人になるかもしれない。体罰の連鎖は、いつかは取り返しのつかない悲劇を生む。正当防衛や緊急避難的な場合を除いて暴力は許されない。
今回の事案では、体育の授業中にガムをかんでいて臨時講師にたたかれた生徒は放課後に担任から諭され、ガムを口にしていたこと、注意を素直にきかなかったことを、臨時講師に謝ったという。
そもそも、体罰を受けても生徒が先生についていくほどの信頼関係が両者の間にあるのなら、手を上げなくても諭すことはできるのではないか。指導する側の真剣さを体罰以外の方法で生徒に伝えることが必要だ。それには多大な時間と労力を要するが、おそらく、その過程こそが師弟間の信頼関係を生み出すのだと思う。現場の先生たちがじっくり取り組むことのできる環境を整えることに市教委と管理職はもっと配慮すべきだし、保護者は家庭でのしつけを放棄してはならない。
学校関係者によると、一部の市内中学校では、かねてより生徒がガムやあめを学校に持ち込むことが常態化していたという。指導する側に「タバコを吸うよりは…」と黙認する風潮はなかったか。ある先生は注意するけれど別の先生は注意しない、ある生徒には注意するけれど別の生徒には注意しない、というような不公平があっては生徒も指導を素直に聞き入れないだろう。
授業は先生と生徒の双方で成り立つものだ。どういう環境で授業を受けたいのか、先生に任せっぱなしにせず、生徒からも声を上げて自浄改革に取り組んでほしい。折しも市内5校の生徒会による「生徒交流会」が今年度から活動を開始している。今こそ「やるときはやる」という中学生の底力を見せてほしい。
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