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明徳究め「不生」説く 赤穂で大悟の盤珪永琢 生誕400年

 2022年04月02日 
興福寺開山堂「蔭涼塔」に安置されている盤珪国師像
 「人は皆、生まれながらに仏心をそなえる」とする考えを赤穂の地で悟り、全国各地の弟子の数が5万人を超えたとされる江戸時代前期の臨済宗の僧、盤珪永琢(ばんけい・ようたく)が生誕400年を迎えた。その生涯を振り返る(文中の年齢は数え年)。

 * * *

勉強嫌いで腕白

 元和8年(1622)3月8日、播磨国揖西郡濱田村(現在の姫路市網干区浜田)で儒医・菅原道節の三男として生まれた。幼名は「人に遅れる毋れ」との意味で「毋遅(むち)」と名付けられたと伝えられている。

 11歳のときに父が他界し、母の妙節は盤珪を儒学の郷塾に通わせた。盤珪は腕白で勉強嫌いだったが、そこで読んだ経典『大学』に書かれた「大学の道は明徳を明らかにするに在り」の一節を目にし、「明徳とは何ぞや」との疑問に取りつかれた。あちこちの儒者に意味を尋ねても答えは得られず、他の勉強が手につかなくなるほど悩んだ。

 ある儒者が言うには「そのような難しいことは禅僧が知っている」という。近くに禅寺はなく、盤珪は高名な禅僧がいると聞いた赤穂の隨鴎寺(鴎は正しくは區に鳥)へ向かった。

 * * *

永く心珠を琢く

 隨鴎寺は盤珪が生まれる6年前の元和2年(1616)に雲甫全祥(うんぽ・ぜんしょう、1569―1653)が開創した。雲甫和尚は三河国の生まれで、「心頭滅却すれば火も自ら涼し」の言葉を残したことで知られる快川紹喜(かいせん・じょうき、1502―82)の弟子。

 織田信長の甲州征伐で快川和尚が弟子70人余りとともに恵林寺(えりんじ)で焼き討ちに遭った際、当時15歳だった雲甫はまだ若かったことを理由に寺を離れるように諭され、難を逃れたという(所用で外出していて助かったとの説もある)。随鴎寺には雲甫が寺の焼け跡から持ち帰った観音像が秘仏として安置されている。

 盤珪は雲甫の下で17歳で得度。「永く心珠を琢(みが)きて遠近を照耀せん」として「永琢」の法名を授けられ、修行を始めた。

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身命賭して坐禅

 隨鴎寺で一日も休まず苦行に励み、盤珪は20歳から行脚に出た。山にこもって断食し、岩の上で転げ落ちるまで坐禅を組んだ。また、浮浪者に混じって橋の下で暮らすなど放浪しながら4年にわたって全国各地の名僧に「明徳」の意味を尋ねた。しかし、疑問を解き明かしてくれる人物には出会えず、失意して赤穂に戻った。

 「いろんな人に教えを求めたが、答えを持つ人は一人もなかった」と泣いて苦しみを訴える盤珪に対し、雲甫は「擬欲すれば即ち差(たが)う。是れ汝が為に、根元を掲開し了れり」と諭した。盤珪はその言葉の意味を理解し、さらなる修行で明徳を究めると決意した。

 盤珪は野中村の興福寺を修行の地に選んだ。修行に専念するために1丈(約3メートル)四方で窓のない草庵をつくって中にこもった。入り口を土でふさぎ、食事は壁に開けた穴から受け取り、排便は草庵に隣接してつくった厠に流した。

 あまりに長く座り続けたため尻の皮が破れて出血し、親指の頭ほど大きい血痰を吐くほどに体調が悪化した。食事も喉を通らなくなり、「命は惜しくはないが、幼いころからの目的を達することができないまま死ぬことがただ残念だ」と覚悟したという。

 * * *

梅の香で開悟

 興福寺での修行を始めて丸2年ほどになる春の日の朝、山すその小川で顔を洗おうとしたときだった。風に乗って届いた梅の香りを感じたその瞬間、はっと「一切のことは不生(ふしょう)でととのう」との気付きに至ったという。盤珪は、このときの様子を後年、「桶の底が脱けたかのようだった」と述懐している。

 雲甫の元へ行き、「人の仏心は生まれながらにそなえられているものであり、自分が後天的に作り出したり生み出したりしたものではなく、不生のものである」と心境を示すと、雲甫は「汝は達磨の骨髄(禅の真髄)を得た」と悟りを称えた。

 この6年後、雲甫は臨終の床で「後日、我が禅宗を支えて興隆させる者は、必ず永琢である」と言い残し、この世を去った。

 * * *

庶民も大名も帰依

 盤珪が30歳のとき、明から渡来した道者超元(1602―63)が長崎にいると聞き参禅。超元から「この人は生死を超越しているが、まだわかっていないことがある」と指摘された。盤珪は長崎に残り超元の下で修行を積み、ついに「大事了畢(たいじりょうひつ)」(仏法の究極を明らめ、修行を成就すること)を認められた。超元は「玉鶏殻を琢破して鳳凰堕出し来る 天人上瑞を観て心眼自然に開く」と詩を贈って祝福した。

 その後も美濃、加賀、江戸など全国各地を巡り、研さんと布教を重ねた。寛文元年(1661)に故郷の濱田村に龍門寺を建立。費用は豪商・灘屋を営む幼なじみの佐々木信次と直守、直重の三兄弟が出資した。

 当初は、それまで聞いたことのない説法が邪教のように思われ、怖がって誰も寄り付かなかったという。しかし、経典に書かれた難解な文言を使わず、平易な話し言葉で仏心の要旨を述べる盤珪の説法は次第に大衆の心をつかみ、やがて説法を聴きに来る人が寺の門外にまであふれるほどになった。

 あるとき、寺に大勢が集まって修行する場に盗み癖のある僧がおり、周囲が寺から追い払おうとしたところ、盤珪は「修行の場は、そのような者のために設けたもの。悪心を改めて善心になるのなら大いなる功徳であり、私の本意だ」とたしなめたという。

 教化は播州を中心に江戸、四国、九州に及び得度を受けた出家の弟子が400人以上、法名を授けた在俗の弟子は5万人を超えた。庶民だけでなく、平戸の松浦鎮信(まつら・しげのぶ)、大洲(おおず)の加藤泰興、丸亀の京極高豊といった諸大名も尊信の礼をとり、「元禄の四俳女」の一人と称される女流歌人の田捨女(でん・すてじょ、1634―98)も帰依した。赤穂義士の木村岡右衛門(1658―1703)は盤珪から授かった法名を記した短冊を肩に縫い付けて討ち入った。

 ちなみに、松浦鎮信は赤穂ゆかりの思想家の山鹿素行(やまが・そこう、1622―85)とも深交があった。鎮信は盤珪、素行と同じ元和8年の生まれで、互いに気が合ったのかも知れない。

 * * *

「ばんけいさん」

 盤珪は51歳で大本山妙心寺の住持に就任し、全国各地で開山または再興した寺の数は約200か寺に及んだ。晩年まで国中を飛び回り、元禄6年(1693)9月3日に龍門寺で遷化した。72歳だった。50回忌にあたる元文5年(1740)に「大法正眼国師」の称号を追贈された。

 盤珪は「不生の仏心」について次のように説いている。

 「烏(からす)の声、雀の声、それぞれの声が、聞かうとも思ふ念を生ぜずに居るに、烏の声、雀の声が通じ別れて、聞き違わず聞かるるは、不生で聞くといふものでござるわいの」

 「鏡は前にある物を映そうという思いはござらねど何でも映しまする。その前の物が取り除かれる時は、映しますまいと思いませねども映りませぬ。不生の仏心と申すは、このようなものでござる。この不生の仏心のままで暮らさっしゃい」

 日本に曹洞宗を開いた道元、臨済宗中興の祖と言われる白隠と並んで「日本三大禅思想家」とも称される盤珪。全国各地のゆかりの寺院に残る肖像画に描かれた顔立ちは、どことなく愛きょうがあり、今なお「ばんけいさん」と親しみを込めて呼ばれる人柄が偲ばれる。

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《参考にした図書》
 ○鈴木大拙編校『盤珪禅師語録』(岩波文庫)
 ○鈴木大拙・古田紹欽編著『盤珪禅師説法』(大東出版社)
 ○玉城康四郎著『日本の禅語録十六』(講談社)
 ○横田南嶺著『盤珪語録を読む』(春秋社)
 ○禅文化研究所編『盤珪禅師逸話選』
 ○『開山雲甫全祥禅師』(隨鴎寺)
 ○川嶋右次・藤本槌重編『網干町史』(網干町史刊行会)
 ○増田喜義/絵・文、河野太通/監修『絵物語ばんけいさん』(文芸社)
 ○水上勉著『歴史と文学の旅「禅の道」紀行』(平凡社)
 ○『浅野家とその時代』(赤穂市立歴史博物館)
 ○斎藤茂編著『赤穂義士実纂』(赤穂義士実纂頒布会)
 ○鏡島元隆『赤尾龍治編「盤珪禅師全集」』
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掲載紙面(PDF):
2022年4月2日号(2457号) 4面 (9,501,397byte)
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