茅野和助の書状、故郷の津山で発見
2011年12月14日
津山市内で発見された茅野和助書状
書状は天地を二つ折りしてしたためた「折紙」で縦29センチ、横38センチ。今年3月、医師で自由民権運動家だった仁木永祐(にき・えいすけ、1830−1902)の子孫宅で発見された。調査委託を受けた同資料館が同市出身の山本博文教授(54)=東京大学史料編纂所=に鑑定を求めた。
討ち入りを前に兄弟へ宛てた遺書で日付は「12月5日」。当初討ち入りが計画された元禄15年12月6日の前日に書かれ、昭和6年発刊の「赤穂義士史料」に翻刻が収録されている。「主人の敵を討つのは、大石内蔵助をはじめ人数50人ほど」「明くる6日の朝、あの屋敷に切り込む予定」「手柄を立てて死ねれば幸せ」などの決意のほか、「母上様にはお嘆きにならないよう」「よくよく孝行を尽くされ、兄弟の間はくれぐれも仲良く」などと家族への思いをつづっている。
今回発見された書状で注目すべきは、「武次郎をも取立、人となし可申与奉存候所」(武次郎を取り立てて、一人前にしたいと存じておりましたが)との記述。この部分は翻刻には欠落している。
武次郎は和助の甥。討ち入り時には和助の母、兄弟とともに津山で暮らしていたことが史料からわかっている。書状の前段には、生まれたばかりの息子の後見として一旦武次郎に家名を継がせるように懇願するくだりがあり、「新しい一文が見つかったことで、つじつまが合う」(山本教授)という。なぜ、仁木家に保管されていたのかは判明していないが、母らが暮らした地であることや全体の筆跡などから「自筆の可能性も高い」と分析している。
年内は同館で展示。午前9時〜午後5時。月曜休館。入館料は一般300円、高校生・大学生200円。TEL0868・23・3324。
<前の記事 |
関連サイト:
■津山洋学資料館
掲載紙面(PDF):
2011年12月17日(1971号) 1面 (9,929,029byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
[ 文化・歴史 ]
夏の俳句を公募 入選句は行灯に ふれあい囲碁大会 100回に [ 文化・歴史 ] 2017年05月16日土器に触れて古代史学習 赤穂民報主催・第27回習字紙上展の作品募集 米寿記念で趣味の押絵展 [ 文化・歴史 ] 2017年05月13日民画「大津絵」の魅力を紹介 [ 文化・歴史 ] 2017年05月12日忠臣蔵扇子10作目リリース [ 文化・歴史 ] 2017年05月10日書道具「水滴」コレクション展 [ 文化・歴史 ] 2017年05月08日江戸時代の具足や駕籠など寄贈 [ 文化・歴史 ] 2017年05月03日神官子孫宅に「大避大明神」縁起書 [ 文化・歴史 ] 2017年04月29日創作人形で「懐かしの昭和」 [ 文化・歴史 ] 2017年04月29日「サイケ」テーマにビートルズ展 [ 文化・歴史 ] 2017年04月27日金魚アート 金沢21世紀美で展示 [ 文化・歴史 ] 2017年04月22日有年中校歌レコード原板を寄贈 [ 文化・歴史 ] 2017年04月22日趣味の木工芸で平等院鳳凰堂 [ 文化・歴史 ] 2017年04月19日
コメント
これは津山ということで近いので、ぜひ見に行ってみたいです!!
0 0
投稿:忠臣蔵問屋わたや 2011年12月14日前から批判されていることですが、
?もしも12月6日の未明に討ち入る予定だったならば12月2日の深川会議でその話があったはずですが、そのようなことを書いた人は他にいません。
?12月5日の月は三日月に毛が生えたようなものだし、午後9時前に沈んでいたそうです。なので、月明かりはまったく期待できないそうです。
?12月15日の未明、表門隊は門の脇に梯子をかけて屋根の上から邸内に飛び降りたことになっています。月明かりがなければ松明があっても下はまっ暗闇なので、屋根の上から邸内に飛び降りることは不可能ということです。
0 0
投稿:弥之助 2011年12月14日コメントを書く