和風建築のカトリック教会堂、解体へ
2013年10月26日
赤穂神社時代の柱や梁を確認した赤穂カトリック教会の構造調査
かつては、赤穂藩を治めた森家の祖霊社「赤穂神社」だった由来を持つ建造物。「お別れ感謝ミサ」がこのほどあり、信者たち約150人が親しんだ建物を偲んだ。
同教会の記録などによると、赤穂神社は明治44年(1911)に赤穂城塩屋門前から遷座。もとからその場所にあった天満社、天満天神社を合祀した。天満社は赤穂浅野家初代・長直によって城の鎮守として創建。同家断絶後に朽ち果てていたのを嘆いた赤穂森家4代政房が元文元年(1736)に本殿と拝殿を建て直した。
その後、赤穂神社は森子爵家と森家旧臣を主体とする町内有志によって維持されたが、第2次世界大戦で社司が戦死したこともあり、昭和24年(1949)に大石神社へ合祀。社地と建物は翌年に赤穂カトリック教会が購入した。外壁や内装は改造したが、屋根は和瓦葺きをそのまま踏襲。珍しさもあり、アメリカの有名写真誌に掲載されたこともあるという。昭和30年(1955)には敷地内に幼稚園が開園した。
赤穂市教委はこのほど、教会堂の構造調査を実施。森家の家紋「鶴の丸紋」が入った鬼瓦は神社時代のものを修繕して使っていることがわかった。また、荒木幸治学芸員(36)と兵庫県歴史文化遺産活用推進員の山本建志さん(59)が屋根裏へ上がり、現在の屋根の下に天満社時代の拝殿の一部とみられる部材を発見。千社札が貼られた柱、紋幕の吊り下げ金具が付いた梁などが往事を偲ばせた。棟札は見つからなかった。
「お別れ感謝ミサ」では担当司祭が説教の中で建物の由来を紹介。「多くの神の信仰の場として、たくさんの人が祈りを捧げてきた場所。つながりをくださった神様に感謝しましょう」と呼び掛けた。46年間にわたって毎週日曜のミサに参加してきたという加里屋の有吉明子さん(91)は「思い出がいっぱい詰まった建物です」としみじみと話していた。
教会堂が建っている土地は池田時代に武家屋敷があったことが当時の史料でわかっており、市教委は発掘調査を予定している。
<前の記事 |
掲載紙面(PDF):
2013年10月26日(2059号) 4面 (8,265,367byte)
(PDFファイルを閲覧するにはこちらからAdobe Readerを入手してください。)
『市史史料集』第5集を刊行 [ 文化・歴史 ] 2019年04月16日山本加代さんに日本書芸院「史邑賞」 [ 文化・歴史 ] 2019年04月13日音楽通じて姉妹都市交流 水路に沿って上水道ウオーク [ 文化・歴史 ] 2019年04月01日桜の季節恒例のサロン演奏会 細密な絵付け魅力「横浜陶磁器」 [ 文化・歴史 ] 2019年03月30日「港」テーマに写真展〜フォトクラブ赤穂 [ 文化・歴史 ] 2019年03月24日絵画を楽しむ会 10回目ロビー展 [ 文化・歴史 ] 2019年03月23日関西フィルと共演 合唱団員募集 すみれ合唱団が第30回定演 23日と24日 大阪音大OBと現役らコンサート 色とりどりの花「満開」折り紙展 [ 文化・歴史 ] 2019年03月21日「みかんのへた山古墳」に2号墳判明 [ 文化・歴史 ] 2019年03月20日県文化財の恵比寿大黒舞、面の完成祝う [ 文化・歴史 ] 2019年03月17日「動物」テーマにグループ写真展 [ 文化・歴史 ] 2019年03月17日
コメント
卒園生に連絡ほしかったなぁ・・・寂しい。
「おわかれ感謝ミサ」に参加したかったです。
思いで深いあけぼの幼稚園。
0 0
投稿:こんなにおおきくなった卒園生♪ 2013年10月29日コメントを書く