2015年05月30日
高尾暁(左)と石橋正敏。高尾が大学時代の帽子をかぶっているため、昭和30年〜31年ごろの撮影と思われる=石橋増江さん提供
第36回全国高等学校野球選手権大会兵庫予選大会準々決勝、赤穂−生野の得点経過と先発選手=1954年(昭和29)8月3日
優勝候補の一角、鳴尾を6−0で完封して2年ぶりにベスト8に入った赤高は1日空けた8月3日、生野と準々決勝を戦った。
初回から毎回安打を放ちながら得点に結びつけられなかった赤高は5回、2死から中村、中原の3、4番が連打して先制。続く6回には打者一巡の猛攻で5点を追加した。
7回、春までエースだった高尾が先発の石橋に代わってマウンドへ。エラーと連続四球で2死満塁のピンチを招いたが、守備位置をライトに変えて残っていた石橋が再び登板し、三振に切って取った。
高尾は肩を壊して投球できる状態ではなかった。「最後の夏やし、いっぺんでもマウンドに上げたろか、ちゅう黒田さん(監督)の温情やったんやと思います。それにしても、石橋がいて良かった」
当時、生野には硬式野球の社会人クラブがあり、秋には夏の県大会上位校を集めた高校野球大会を開くなど、地域ぐるみで野球が盛んだった。大会のダークホースにも挙げられていた「県北の雄」に完勝し、初の準決勝進出。しかし、グラウンドの外では困った問題が持ち上がっていた。(文中敬称略)
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2015年5月30日(2137号)3面 (10,503,669byte)
コメント
※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。