2015年09月19日
滝川−赤穂戦3回裏1死2、3塁、スクイズで滝川が先制した場面=朝日新聞社提供
昭和29年夏、甲子園出場を懸けた兵庫大会決勝。赤高は3回表にも四球から1死2塁で中軸という好機を作ったが、3番中村は三ゴロ、4番中原は見逃し三振に倒れ、またも得点出来なかった。
「ピンチの後にチャンスあり」という言葉があるが、当然その逆もある。その裏、赤高は1死から四球、盗塁、ヒット、盗塁で二、三塁のピンチを招き、2番山田のスクイズであっさり先制を許した。
無警戒だったわけではない。このプレーの前にタイムを取って伝令を走らせ、前進守備隊形をとっていた。
しかも、バントの打球はマウンド正面に転がり、すぐにバックホームすれば三塁ランナーをアウトできるタイミング。ところが、石橋はボールが手に付かず、どこにも投げられなかった。初回に続き、石橋にエラーがついた。
木村「イシは守備もうまかったんやけどね。この日はさすがに焦りがあったんかな」
石橋−木村のバッテリーは前の打席でクリーンヒットを打たれている3番筒崎を歩かせ、満塁策を取った。
打席に強打者の喜吉が入り、滝川ブラスバンドの軍艦マーチは最高潮。「フレーフレー、イ・シ・バ・シ!」と叫ぶ赤高側スタンドの声援は今にも消え入りそうになっていた。(文中敬称略)
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2015年9月19日・第1部(2153号)3面 (9,714,445byte)
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