2015年12月12日
この連載のために29人と6つの団体に取材した。そのうちの一人で当時赤高の三塁手だった冨田洋二(旧姓・塩崎)が意外なことを口にした。
「滝川との決勝戦で主審だった鍛治川さんね、決して滝川びいきじゃなかったんですよ」
冨田は高校卒業後、木村製薬所(現アース製薬)に入社した。会社で取り扱う炭酸マグネシウムを入れるためのクラフト袋を納入していたのが、鍛治川が経営する会社だった。冨田は商談で面会した鍛治川から次のように言われたという。
「あのとき、私がファウルチップだと宣告したのに、あなたは自ら『空振りしました』と申し出た。何と正直な若者かと思った」
「あのとき」とは滝川戦の2回表、2死満塁で打席に立った冨田が、一度は「ファウル」を宣告されながら判定が覆り、三振に終わった場面だ。これまで、「滝川からの抗議によって主審が判定を変えた」と思われていたが、実はバッター自身が「空振り」を自己申告していたというのだ。
「カウントとか細かいことは覚えてないけど、『バットに当たりませんでした』と審判に言ったのは覚えてる。それだけ純真だったんでしょうね」と冨田。「大人になってからも、『あのとき打っていれば』と何度も思いましたよ。でもね、空振りを申告したことを後悔したことは一度もない」(文中敬称略)
[ 赤高ナイン熱戦譜 ]
掲載紙面(PDF):
2015年12月12日(2165号)4面 (10,771,644byte)
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