2015年12月14日
赤穂観光大使の俳優、木下通博さんが12月13日の義士祭前夜祭イベント出演中に倒れ、搬送先の病院で亡くなった。61歳だった。
木下さんは同日、中広の市文化会館ハーモニーホールであった「ふれあいステージ」に午後5時ごろから登壇。袴姿で舞台あいさつを終えた直後に壇上で突然倒れたという。
木下さんは「日本一の殺陣集団」として定評のある「東映剣会」に所属し、「水戸黄門」など数々の作品で好演。赤穂義士祭の忠臣蔵パレードでは毎年メンバーを率いて迫力あるアクションで観客を楽しませ、平成23年に赤穂市から観光大使を委嘱された。
この日は自身が出演した映画『太秦ライムライト』の上映会に先立ち、殺陣を演じて舞台あいさつしたところだった。関係者の話では心臓など健康に不安があったといい、「役者魂を最期まで貫いたが、あまりにも早過ぎる」と急逝を悔やんだ。
[ 事件事故 ]
掲載紙面(PDF):
2015年12月19日(2166号)3面 (11,978,716byte)
コメント
謹んでご冥福をお祈り申し上げます
残念です
投稿:市民 2015年12月17日
早い!若すぎる!残念!無念! 悲しい
投稿:のりりん 2015年12月17日
義士祭が終わり、2日が経って、芸能界からも悲しみの声が洩れ伝わってきています。
俳優の石垣佑磨さんや、金山一彦さんなど、ブログの中で思い出を綴られているように、木下さんは、あの強面な風貌とは相反して、とても若手の俳優さんや、子供や老人に優しい人柄だったようです。
今でも、目を瞑れば思い出しますが、毎年、赤穂の地で魅せてくれた、真剣な眼差しの演技とその合間の笑顔。
来年から、もう義士祭で観れないと思うと寂しくてなりません。
あの立派な、ハーモニーホールでの最後の姿は、私には、48人目の赤穂の浪士のように記憶に映ります。
きっと、あちらで赤穂の先人のねぎらいがある事を信じてやみません。
平成の世で、赤穂のため、義士のために、立派にその役割を果たされた事を深く感謝致します。
投稿:有難う御座いました。 2015年12月15日
殺陣と挨拶をされ、その舞台で最期を遂げられたとは、まさしく「役者魂」ですね。義士祭を盛り上げようと頑張ってくださったことに感謝申し上げます。個人的には名誉市民を差し上げたい気持ちです。
投稿:ご冥福をお祈り申し上げます 2015年12月15日
客席で拝見していました。
このステージのために準備されというすばらしい殺陣の演技の後、お一人ずつのご挨拶の時に、突然…。
今にして思えば、少し苦しそうで息が荒かったので、体調が良くなかったのかも、と思ってみたり。
謹んでご冥福をお祈り致します。
投稿:一市民 2015年12月15日
謹んでお悔やみ申し上げます(合掌)。昔から舞台等で一緒に仕事もして、公演先でよく飲んで・・・勢い余って色々と・・・これも懐かしい思い出です。
投稿:新之介 2015年12月15日
楽屋が隣だったので、廊下での熱のこもった最終チェックを目の前で拝見しました。
白熱したステージも袖から拝見しました。
倒れられた瞬間、何が起きたのか分かりませんでした。
仲間のみなさまが、一生懸命介抱され、救急車が到着するまで、できる限りのことを尽くされていました。
私たちは邪魔にならないようおいとましましたが、ただただご無事を祈っていました。
残念なお知らせに涙しましたが、木下さんが命を懸けた最後の舞台を拝見できたこと、いつ終わるかわからない命があたりまえなものではないことを身をもって教えてくださったこと、一生忘れません。
ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りしています。
投稿:たんぽぽ 2015年12月15日
今朝、宿泊先のホテル前で、メンバーの方に木下さんの容態を尋ねたところ、ニコニコしながら昨晩のうちに京都に帰りました。とだけ答えてくれました。
亡くなっていたとは知らず、良かったですね〜と、思わず言ってしまった私。
今、思えば義士祭が終わるまでは赤穂市民に配慮して、哀しみの中、皆さん堪えてらしたのでしょう。剣会の皆さんの役者魂と絆を見た思いです。
ご冥福をお祈り致します。
投稿:残念です 2015年12月14日
謹んで、ご冥福をお祈り致します。赤穂へ来られた時、ご一緒に飲みました。面白い正に親分でした。義士祭のたび声援を送ってました。よく覚えてくれていました。合掌
投稿:木下親分 2015年12月14日
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