2016年01月16日
昔々のお話だ。瀬戸内海が、まだ「瀬戸の海」と呼ばれていたころのお話だ。その頃の瀬戸の海は、海と言っても、そんなにしょっぱくなかった。
漁師が魚をとろうとして舟をだしても、なかなか魚がとれない日々が続いていた。魚だけではない、タコやイカ、えびなども、姿も見えなくなっていた。そして、貝もいなくなっていた。
このあたりの漁師で、為吉という若者がいた。為吉は、お父さんもお母さんもいない。お父さんが残してくれた小さな舟で魚をとりながら、たった一人で暮らしていた。しかし、毎日、海に出るものの、魚一匹とれない日が続いている。魚を売って、そのお金で、食べていかなければならない為吉は、こまりに、こまって、村はずれに住んでいる漁師の長老さんを訪ねた。
「どうして、この辺りに魚がいなくなったんだ?」と聞いてみた。
長老さんは「そうさなー、昔は、ようさんとれよった。魚は、もちろん、貝もとれたし、タコやイカ、エビなんかも、よ―とれたもんじゃ。そうだ。それに、海はもっと、しょっぱかった。昔は、もっと塩辛かった。なにか海の中で大変なことが起こって、だんだん塩が減ってきたんじゃないか。だから、魚がとれないのではないか」という話を聞いてきた。(作・切り絵 村杉創夢)
[ 赤穂の昔話 ]
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掲載紙面(PDF):
2016年1月16日(2169号)3面 (12,463,800byte)
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