2016年02月20日
―人間って何だろう?―
普段の生活の中で「ねえ、人間って何だと思う」と聞かれることはないと思います。でも、私たちは人間です。自分たちを規定している基準のようなものを知っておくのも、決して悪いことではないでしょう。そこで、今回のテーマは「人間とは何だろう」です。
この問いを家族にしてみると「二本足で歩く」(娘:10歳)、「考える存在、希望を抱ける存在」(息子:17歳)、「一人では生きることができない存在」(妻:年齢非公開)といった答えが聞かれました。息子がお父さんは?と聞くので、「神でない存在」と答えたのですが、すかさず、「それじゃ、猿も神ではないでしょう」と反論されました。そこで付け足しました。「もし本当に大切なことを完全に知っている存在がいるとすれば、それは神のみである。人間は神ではないので、本当に大切なことに対する理解を深めることはできるが、完全に知ることはできない存在である」と。(ここで神という言葉を使いましたが、私には信仰はありません)
例えば、他者と共に生きていく上で本当に大切なことを、私たちは完全に知ることはできません。だから、他人の話を聞くこと、そして、いま自分が持っている考えを吟味し、場合によってはその考えを変えることが必要です。また、「もし完全で誤ることがない存在がいるとすればそれは神のみであり、人間は不完全で誤ってしまう存在である」と理解すれば、だから、他人の誤りを赦すことが必要であることが分かります。
他人の話を聞けない人がいます。自分もそうかもしれません。人を赦せない人がいます。自分もそうかもしれません。でも、そういう自分に違和感を覚えます。なぜかというと、そうした自分は、本来の人間のあり方から逸脱しているからだと思います。人間をどのように理解するのかによって、行動や生き方が変わってきます。さて、みなさんは、人間って何だと思いますか。そして、そうした理解は、どのような行動や生き方を導くでしょうか?(中村剛・関西福祉大学社会福祉学部教授)
[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2016年2月20日(2174号)4面 (11,640,658byte)
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