2016年06月25日
◆砂本秀義さん(85)=東京都大田区
「今から名前を呼ぶ者は、放課後、滑空機の格納庫の前に集合せよ」
体育教官が読み上げた中に私の名前も入っていた。私が赤穂中学校(旧制)の1年生だった昭和19年の5月末のことだ。
滑空機(グライダー)の格納庫は、千種川にかかる赤穂大橋のやや上流の土手下にあった。集合したのは20人くらいで、みんなどうして選ばれたんだろうと不思議がっていた。
間もなく、尾下教官が自転車でみえ、「きょう指名したのは、入学以来の体操(体育)の授業で運動神経の良さそうな者を選んだのだ」と言った。そして、「君たちは近い将来、戦闘機乗りになるかもしれないのだ。そのために、基本技術からしっかり練習するように」と言った。
初めて目にした滑空機は全長15メートルほどの一人乗りで、主翼の右端から左端まで約20メートルあった。生徒10人で運べる程度の重さだった。
まずは地上で機体が静止している状態で操縦席に乗り、風向きを見ながら操縦桿で旋回翼を調整して機体の平衡を保つ練習から始まった。一人数分間ずつだったが初めての体験なので、えらく緊張した。操縦桿一本で機体を安定状態にできることは興味深かった。
天候の良い日は実際に滑空を練習した。滑空機は、機体後尾のロープを固定した状態で機首につないだ2本のゴム索を「V」の字に前方へ引っ張り、ロープを放した反動で浮力を得る仕組みだった。
教官から説明と注意事項を聞いた私たちは機体を千種川の河原に運搬した。向かい風になるように出発位置を決め、地面に打ち込んだ棒杭に機体尾部の短いロープを巻き付けた。
生徒の一人が棒杭に両脚を踏ん張り、後ろにのけぞるように固定用のロープを引っ張る。一人は操縦士として機体のシートに。残りの者は二手に分かれてゴム索を握った。ゴム索はロープではないかと感じるほど硬かった。(つづく)
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[ 戦後七十年語り継ぐ ]
掲載紙面(PDF):
2016年6月25日(2190号)4面 (11,001,520byte)
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