2016年10月01日
為吉は、塩がたくさん売れて、今では、大金持ちだ。いつでも、潮吹き穴のことは、大事に見守っている。為吉は、岬の崖の上に社を作り、「塩岩(しおいわ)神社」として、朝な夕なに、お礼のお参りをした。
潮吹き穴のおかげで、魚や貝は取れるし、塩も取れるのだ。塩岩があるから、瀬戸の海は、塩の量が豊かで魚たちだけでなく、人にとってもすばらしい恵みを与えてくれる守り神みたいなものだ。塩岩は、けっして人が触ってはいけないもので、波の力だけが、塩を海に運んでくれるものだとして、洞窟を守っていった。
塩田の仕事は、非常にきつい仕事である。真夏の炎天下、海の水を海岸から塩田まで運び込み、その海水を塩田に撒いていく。水が蒸発したら、この砂を集めて、塩水で塩だけを洗い流さなければならない。さらに、この塩水をかまどで何時間も煮ていかなければならない。
どの仕事も、非常につらい仕事ばかりだ。
為吉は、塩作りが大変な仕事であることをよく知っていた。だから働く人々を大切にした。為吉は、儲かったお金で、この村に住む人々が、もっと豊かになるよう、工夫した。
塩田が大きくなったので、塩田で働く人の数も多くなってきた。その人たちの家を塩田の近くに作った。働く人々が、安心して暮らせる場所が必要だった。
為吉は、大きな屋敷を作った。それは、各地から塩の買い付けに来る人々を歓迎するためであり、それが、また商人たちに評判がよく、次も必ず来てくれるようになっていた。
また、塩田で使う道具や、海で使う道具、家庭で使う道具をいろいろ用意して置いた。村の人は、誰でも自由に出入りでき、必要な道具を自由に使うことが出来るのだった。さらに、病気などで困った時には、いつでも相談に乗って、医者の世話から薬の世話まで出来るかぎりの手伝いをしていた。(作・切り絵 村杉創夢)
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2016年10月1日(2201号)3面 (11,891,591byte)
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