2018年10月13日
「トイレのしつけが人と関わる力の基礎になる」
そう言い切るようになったのは今から25年ほど前。私が幼稚園で仕事をしていた時のことです。園児を連れて園周辺の自然の中へよく遊びに行っていました。自然の中で困るのがトイレです。幸い地域の集会所で借りることができたので、毎回お世話になっていました。
その日も子どもたちが、1つしかないトイレを順番に使わせてもらっていました。本来ならそこで援助をするのは保育者なのですが、この日は協力者の保護者Aさんでした。Aさんはトイレの戸口で、「他所のトイレを汚さないようにね」「汚れないようにしっかり前へ行って」「汚れたらおばちゃんに言ってね」と、一人一人に優しく声を掛けておられたのです。子どもたちはおばちゃんの言う通り、いつもより慎重に用を足していました。そしてその後は、手洗い場を汚さないようにしっかり手を洗っておばちゃんに褒められました。トイレのしつけはトイレのことだけでなく、他のことにもつながっていたのです。
私は、近くで他の子どもの対応をしていてたまたま聞いたのですが、そのような言葉が自然に口から出るAさんの素敵さと共に、人としての在り方を教えられたようで大変感動したことを今でも覚えています。
集会所のトイレや手洗い場を汚さないように気を付ける。正に公共心そのものです。『道徳』が新小学校学習指導要領で教科として位置づけられましたが、幼児期にこのようなことを大人から伝えられた子どもは、その下地を築いているといっても過言ではないと思います。
オーストラリアのある保育所ではトイレのドアがガラス張りになっていると聞いたことがあります。トイレを汚さないように使うことや汚れたら処置する方法を、幼い時から厳しく教えるためだそうです。これは、単なるしつけのためというより次に使う人が気持ちよく使える、つまり見えない誰かへの思いやりの気持ちを育てるためだと聞いて目から鱗でした。Aさんのあの言葉と重なったのです。
そのようなことから私は、「トイレを汚さないように気を付けるという、見えない誰かへの思いやりこそ見返りを求めない相手を大切にする心であり、人と関わる力の基礎となる」ということを言い切るようになりました。(中道美鶴・教育学部児童教育学科教授)
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次回は教育学部児童教育学科の小川温子准教授です。お楽しみに。
[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2018年10月13日(2296号)3面 (9,618,158byte)
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