2019年03月30日
あるとき、大雨が降り、この河原が水浸しになったので、人々は近くの雄鷹山のふもとに祠を作り、そこへ仏様をお移ししました。
あのお坊さんは、えらい大師様に違いない。そこで、この山のことを、いつしか、お大師山と呼ぶようになったのです。
お坊さんが住んでいた仮屋は、いつの間にか朽ち果ててしまい、何も残っていません。村人たちは、「仮屋の仏さま」があったところとして、このあたりのことを「仮屋」と呼ぶようになったということです。 今では、同じ「かりや」でも、字の違う、「加里屋」という地名になり残っています。また「上仮屋」という地名は、そのまま残っています。あのお坊さんは誰だったのか、今では、わかりません。仮屋の仏さまも、今では、どこにあるのかもわからないのです。今も残っているのは、「かりや」という地名だけになりました。おしまい。(作・切り絵=村杉創夢)
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2019年3月30日号(2319号)2面 (5,787,234byte)
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