2019年05月25日
足元の泥をのけてみると、そこに一匹の亀がいました。亀は泥にまみれて、もがき苦しんでいたのです。
「よっしゃ、よっしゃ。じっとしとけよ。今すぐに助けたるからな。じっとしとけよ」
お百姓さんは、手に持っていた苗を置いて、亀を抱きあげ、千種川の水で洗ってやりました。
「もう泥田に入るんじゃないぞ。はよう元気になれよ」
と、亀に語りかけ、放してやりました。亀は両手・両足をバタバタと動かし、まるで喜んでいるように泳いでいったそうです。亀の姿が見えなくなると、お百姓さんは、また田にもどって苗の植えかえに精を出しました。
次の年も、その次の年も、楢原は洪水にみまわれました。でも、いつもと少し違うことがありました。上流から押し流されてくる土が、それまでとは違い、とても肥えた豊かな土であったのです。そこに植えた稲は、今までの倍以上の実がつきました。洪水が運んでくる土のおかげで、楢原は豊作が続き、お百姓さんたちの生活は年々豊かになっていきました。
そのうち、誰となく
「亀を助けたからとちがうか」
「亀の恩返しやで」
と、口ぐちに言い出しました。そして、亀を放してやった場所を「放亀(ほうき)」と呼ぶようになったということです。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第一集』・「放亀の地名」より)=切り絵・村杉創夢
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2019年5月25日号(2326号)3面 (11,961,567byte)
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