2019年11月23日
「義務教育」と言うと、多くの人が「国(法律)で定められた、すべての子どもたちが学校に行って、勉強の基礎・基本を学ぶ、小・中学校9年間の教育」という共通のイメージをもっているようです。ほとんどすべての人が経験する義務教育ですから、このイメージは間違っていません。
そこで、ちょっと掘り下げて「義務教育の『義務』って、誰の義務?」と問うと、学校に行くのは子どもだから「子どもの義務だ」と思っている人もいるようです。あるいは、「保護者に、子どもを学校に通わせる義務(就学させる義務)がある」と考えている人もいます。
「子どもの義務だ」というのは、戦後日本の義務教育制度の考え方からすれば明らかに間違いです。子どもには、少なくとも法的には「学校に行くべき義務」はありません。一方、「保護者に就学させる義務がある」というのは間違いではありませんが、満点の答えではありません。
私の専攻する教育制度学では、義務教育とは、保護者の「わが子を就学させる義務」、国や自治体の「学校設置義務」や「奨学義務」、雇用主の「義務教育期間の子どもを労働者として雇用してはならないという義務(避止義務)」などによって、「子どもの教育を受ける権利(憲法第26条)を保障する公的な教育」だと捉えます。
前回お話した、わが国の「教育の目的」(教育基本法第1条)を踏まえると、大人の側に様々な義務を課すことによって、すべての子どもたちに「夢や志の実現を追求し続ける」権利を保障する制度だと言えます。
なお、「学校設置義務」だけ補足説明しておくと、この義務は、単に国や自治体の「学校を作る義務」ではありません。人的・物的(また財政的)に「最適な学習環境の学校を創り出す義務」を意味します。ですから、行政だけではなく、学校、とくに教職員の責務でもあります。いじめ、体罰、不登校などの問題が取り沙汰される昨今、この「最適な学習環境を創る義務」をきちんと果たすことが、行政にも学校にも求められます。
義務教育は、わが国の教育目的を実現するための根幹となる教育(の制度)であり、子どもたちにとっての「権利としての教育」です。その権利を保障する義務を負う大人として、とくに当事者である保護者、教職員、教育委員会などでは、「子どもにとって最善の教育とは何か?」を、子どもの声をしっかり受け止めながら、ともに議論し、皆が力を合わせて、その実現を目指す努力をしていかなくてはなりません。(秋川陽一・教育学部児童教育学科教授)
[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2019年11月23日号(2348号)4面 (10,883,156byte)
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