2020年08月01日
土曜深夜(=日曜早朝)に放送される「今夜も生でさだまさし」というNHK総合の番組があります。番組には「半死半生語」という言葉のコーナーがあり、昔は良く使われていたのに最近はあまり使われていない言葉を紹介しています。
ある放送回では「藁半紙」「馬糞紙」が話題になっていました。確かに今では使われていません。その他の放送回では、「総天然色」「草履袋」「筆箱」「茶の間」などが取り上げられていました。それぞれ「フルカラー」「シューズ入れ」「ペンケース」「リビング」と片仮名の言葉に変化しています。
しかし〈茶の間〉と〈リビング〉…。ずいぶんと感じが違いませんか。〈茶の間〉に見える暮らしぶりと、〈リビング〉での暮らしぶりには違いがあります。言葉に垣間見るその時代の「ものの見方や考え方・感じ方」の違いが言葉の奥に見え隠れするからです。
「五右衛門風呂」「赤チン」はものが消え、使う人がいなくなれば言葉も死語となります。「消えざるを得ない言葉」です。しかし「半死半生語」の中には「消し去ってはダメな言葉」があります。
「お先に」「お先でした」「おかげさまで」…こんな言葉が消えてしまったら。「どうぞお召し上がり下さい」「いただきます」「ごちそうさまでした」「お粗末様でした」…こんなやり取りがなくなってしまったら。「お天道様が見ているよ」という倫理観がなくなってしまったら。「消し去ってはダメな言葉」は、私たちの生き方の要です。
今回のコロナ禍は私たちに「普段の暮らしの大切さ」を教えてくれました。しかし以前の暮らしに戻ることはできません。コロナ禍によるピンチは、「こうありたい」を問い直し、未来の時代を生み出すチャンスです。
これまでの価値観を変えられる人は、変えてはならない価値を知っている人です。「半死半生語」は過去を「ふり返る」「懐かしむ」ことから、何を残すべきか「価値づける」ことへのヒントを与えてくれます。「消し去ってはダメな言葉」があるということです。
人間の思考を形作る「言葉」には、民族性が反映されます。日本という国家にとって切っても切り離せない日本の「言葉」には、私たち日本人の「魂」の「過去と未来」とが入っています。DNAです。大げさな話ではありません。「言葉」が消えるとき、私たちは消え去ります。
学校教育は、過去の伝統や文化の価値を「消し去ってはダメな言葉」として次の世代に伝えます。「半死半生語」が「死語」になる前に果たすべき役割を自覚しています。
(教育学部児童教育学科教授・伊崎一夫)
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次回からは教職支援室の石原義行准教授が執筆します。お楽しみに!
[ かしこい子育て ]
掲載紙面(PDF):
2020年8月1日号(2380号)4面 (8,631,834byte)
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