2020年09月12日
江戸時代のお話です。今の西有年のあたりを治めていた代官は、大へん欲の深い人でした。ぜいたくなくらしをしていながら、百姓には
「米を食べるな。絹の着物をきるな。髪の油も使うな」
といって倹約を命じ、すこしでもたくさんの米を年貢に出すようにいいつけました。
それでもまだ足りないと思った代官は、
「働けなくなった年寄りを養うことほど無駄なことはない。これから六十歳以上になったものは、みんな山へ捨ててこい」
というおふれを出しました。
生みの親を山へ捨てろとは大変なことです。村中の人が、泣いて代官の仕打ちをうらみました。でも、どうしようもありません。泣きながら、年老いた親を背負ったり、手を引いたりしながら、横山にあった姥捨て山に連れていきました。
ところが、この村に人一倍親孝行な若者がいました。
「なんぼお代官さまの命令でも、これだけは聞けぬ」
若者は床下に穴を掘り、そこに年老いた父親をかくまうことにしたのです。夜になると、そっと畳をあげて、穴におり、父親にご飯を食べさせてあげたり、肩をたたいてあげたりしていました。
老人を山に捨てさせた悪代官は、それでも満足しません。こんどは
「灰で縄をなって、さしだせ。それができない者は、年貢を倍にする」
というおふれを出しました。
灰で縄をなえる道理がありません。それを承知で無理難題をふきかけ、倍の年貢を取りあげようという魂胆でした。
またまた、村中が大さわぎになりました。灰で縄をなうなんて、とてもできそうにありません。そうかといって、倍の年貢をさしだせる余裕もありません。村人は思案にくれていました。
孝行者の若者も困ってしまいました。夜になるのを待って、父親に相談することにしました。若者から相談を受けた父親は、ニッコリと笑って、いいました。(つづく)
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2020年9月12日号(2385号)2面 (5,990,280byte)
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