2020年10月31日
昔は、近所四、五軒が組になって順番に風呂をたき、互いに「もらい風呂」をしていました。
きょうは吾助はんの家の当番です。夕食がすむと、大人も、子供も集まって来ます。世間話が何よりの楽しみで、子供には子供の話をしてやります。
「また、この続きは明日や。きょうははよう帰って寝。明日起きられへんぞー」
子供たちが、続きを楽しみに帰った後、今度は大人の話がはじまるのでした。
「この頃、おつるはん、朝はようから、どこへ行きよんやろうか。おまはん見やへんか。毎日やで」
「それなあ、どうやら西有年の、木ノ目地蔵はんへ行ってるらしいで。見た人があるんやで」
だまって聞いていた、口の重い男が、
「それか、それはなあ、娘のたまはんに、男がでけて、その男が、村でも評判の怠け者や」
「エエッ!たまはんに男がでけた。それほんまか」
顔色を変え、あわてる人もいました。
「たまはんは、ええらしいが、おつるはんらは嫌いなんや。何とか別れさそうと思うて、木ノ目地蔵はんへ参りよんや」
「そうか。そんなことがあったんか。あの地蔵はんには、この頃、よう線香が立っとんなあ」
「あの地蔵はんは、願いごとをよう聞いてくれるんやぞ。この間も、遠いとこの人が来て、婿はんがばくちをして困ると、長い間、地蔵はんを拝んどった。おまはんら、酒ぐせの悪い人は参っとけ」
と、この地蔵にまつわる縁切り話は、夜がふけてもえんえんと続きます。
この地蔵さんは、酒ぐせ、ばくち打ちなど、悪いものから縁を切ってくれるご利益があるところから、「縁切り地蔵」と呼ばれるようになりました。
今でも嫁入りの時には、ここを通ると縁が切れるといって、遠回りして行くそうです。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第二集』・「縁切り地蔵」より)=切り絵・村杉創夢
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2020年10月31日号(2390号)2面 (10,103,089byte)
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