2022年03月19日
切り絵・村杉創夢
昔、むかしのある夏の暑い日のことです。丸山から御崎の沖で漁師が魚を釣っていると、陸の方で何かざわざわと音が聞こえてきました。
そこは「猪壺谷」という小さな谷間の平地で、たくさんの男や女、子供たちが、竹筒のようなもので海水を汲んで、これをリレーのように手わたして、奥の谷間に送っていました。
「ありゃあ、一体、何しよんやろ」
漁師は不思議に思いながら見ていました。あまりにもたくさんの竹筒が運ばれるので、だんだんうすきみ悪くなりましたが、野次馬根性も手伝って、舟を岩かげに入れて、丘の上へ登り、その人たちのしぐさをのぞいてみました。
すると彼らは、猪壺谷の谷間の平地に、ちょうどお墓の竹の花筒のようなかっこうに切った竹筒に、海水を一杯入れて、すき間もないほど立て並べていました。大人たちは、ぼそぼそと、「海水が満ちたり引いたりするのは、太陽や月の力によるものだ」というような意味の歌をうたいながら、忙しく働いていました。
漁師はたまりかねて、そこへ出ていき、
「おまはんら、何しよんどな」
と、聞きました。
皆だまって顔を見合わせていましたが、一番偉い人らしい老人がやって来て、漁師にていねいに挨拶して、
「私らは、ここで塩を作らしてもろとります。こうして何日か日に干しますと、竹筒の中に氷砂糖のようなシオコリができます。これは、私らの仲間の非常用の塩で、できあがった塩は、国中の仲間に配給するのです。買うた塩は、包んで持っているうちに溶けて無くなってしまいます。私らは山の中で生活しておりますので、ミチ(塩)の大きな結晶が必要なのです。私が、仲間のミチを作る、『ミチノカミ』です。毎年来ますので、よろしうお願いします」
と、話してくれたそうです。(赤穂市教育委員会刊『赤穂の昔話 第二集』・「竹筒で塩を作る人を見た」より)
[ 赤穂の昔話 ]
掲載紙面(PDF):
2022年3月19日号(2455号)2面 (10,554,762byte)
コメント
※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。