2022年12月10日
元禄赤穂事件で本懐を遂げた浪士たちが吉良邸から泉岳寺まで引き揚げた道筋について、中央義士会は今月発行の会報で一部ルートを見直す研究成果を発表した。来年1月29日(日)、今回の修正を反映したコースで「赤穂義士引揚げルートを歩く会」を開催する。
引き揚げルートについては、四十七士や泉岳寺の僧が書き残した情報などから、吉良邸を出発して永代橋、稲荷橋、御家断絶まで浅野家上屋敷があった鉄砲州、そして汐留橋を通過して泉岳寺まで約12キロを歩いたことがわかっている。また、その道中、丹後宮津藩・奥平家の屋敷前で桜井惣右衛門という同家の家臣が奥田孫太夫に声を掛けて会話したことなどが知られ、基本的にはそれらの地点を結んだ道筋を引き揚げたと推測されるが、区間によっては通り道に複数の選択肢があり、完全には特定できていない。
惣右衛門が孫太夫に声を掛けた場所についても諸説あり、同会は2006年に刊行した『赤穂義士の引揚げ〜元禄の凱旋』で、奥平家中屋敷(中央区明石町)としていた。同家中屋敷が浅野家上屋敷(討ち入り当時は若狭小浜藩邸)の隣にあったからだ。しかし、最近の研究では、惣右衛門が声を掛けたのは中屋敷の南西約1キロにあった同家上屋敷(中央区銀座8丁目、現在の銀座郵便局辺り)の前とする説が有力。上屋敷は鉄砲州から汐留橋までの道中にあり、矛盾はないという。
この件を巡っては昨年2月、元禄赤穂事件の研究グループ「赤穂事件研究会」の大澤努さん(69)=秋田県由利本荘市=が「上屋敷説」を会誌で発表。大澤さんによれば、「中屋敷説」だと折れ曲がった細い路地をわざわざ通ることになり、「江戸在住で地理に精通しているであろう堀部弥兵衛や冨森助右衛門などが袋小路のような危険な道を選択するだろうか」との疑問を持ち、改めて文献を調べた。丹後宮津藩の目付だった惣右衛門が事件当時、中屋敷ではなく上屋敷に詰めていたことを確認し、調査成果を「引揚げルートの新説」として発表した。
中央義士会は今年5月に検証委員会を立ち上げ、引き揚げルートに関する史料文献を検証。鉄砲州周辺だけでなく、永代橋を渡った直後の道順と築地本願寺―汐留橋間の行程についても従来説を修正した。「赤穂義士引揚げルートを歩く会」では「より史実に近いコースを歩く」としている。
「歩く会」はJR両国駅を午前9時半に出発し、午後4時ごろ泉岳寺に到着予定。雨天中止、小雨決行。参加費3800円(昼食付き、別途要資料代)で来年1月20日まで60人を募集する(定員になり次第締め切り)。問い合わせはTel090・2385・3224(柿崎理事長)。
[ 文化・歴史 ]
掲載紙面(PDF):
2022年12月10日号(2487号)2面 (4,557,615byte)
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