2009年05月18日
小野寺十内の妻丹の直筆と鑑定された書状
赤穂義士の一人、小野寺十内の妻丹が書いたとみられる書状を豊岡市城崎町のそば店経営、四角澄朗さん(63)が入手。書状を鑑定した豊岡市立出土文化財管理センターが、「丹の真筆の可能性が極めて高い」とこのほど発表した。同センターによると、丹の書はこれまで、大石内蔵助夫妻に宛てた書状の透写(東京大史料編纂所蔵)しか確認されておらず、「直筆の書が見つかったのは初めてで貴重」と話している。
書状は縦約15センチ、横約85センチあったものを、ほぼ半分に切断して掛け軸に軸装。古文書収集家の四角さんが昨秋、京都の古美術業者から手に入れ、同センターの瀬戸谷晧所長に鑑定を依頼した。
「御文をいただき、ありがとうございます」「久々にご旅行なさり、ほうぼうゆっくりと遊山されていることと、こちらでもお噂しているところです」などの文面から、旅行中の知人への返信とみられ、末尾に「めいゑい(みょうえい)様」の宛名と「小の寺十内内」の署名がある。東京大史料編纂所の透写との比較で、「字のハネやトメの癖、署名の書き方が酷似」しており、真筆と断定した。
宛て先の「みょうえい」について瀬戸谷所長は複数の可能性を指摘した上で、「仏門に入って妙栄を名乗った大石良総(内蔵助の親類で後の無人)の妻ではないか」と推測する。
丹は、京都留守居役だった夫の十内と京都に居住。良総の妻は元禄10(1697)年4月に出家し、その年の9月に一族で京都から江戸へ移った。
手紙には「お早いお帰りをお待ち申しております」と書かれていることから、「江戸に発つ前に遊山した妙栄に丹が出した手紙とみることもできる」(瀬戸谷所長)と分析している。
[ 社会 ]
掲載紙面(PDF):
2009年5月23日(1848号)1面 (7,795,603byte)
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