2009年09月12日
赤穂城跡にある山鹿素行像
大石内蔵助ら赤穂藩士に「士道」を説いた江戸前期の儒学者・山鹿素行の遺徳を再評価しようと、「赤穂義士と山鹿素行全国フォーラム」が9月26日(土)・27日(日)に赤穂市文化会館(ハーモニーホール)で開催される。8月には有識者らによる「赤穂山鹿素行研究会」(木山正規会長)が発足。没後320年以上の時を経て、赤穂ゆかりの賢人を顕彰しようとする気運が高まっている。
会津生まれの素行(1622〜85)は9歳で朱子学者の林羅山に入門。兵学、国学、神道など多様な教養を究めた。
赤穂との関わりは深く、31歳から8年間、赤穂藩主・浅野長直に禄高1000石で仕えた。著書の内容が朱子学批判と幕府にとがめられ、1666年(寛文6)に赤穂へ配流。許されて江戸に戻るまでの約9年間を赤穂で過ごし、当時少年期だった内蔵助をはじめ藩士らに武士としての心構えや行動規範を指南したと言われている。
フォーラムは市民有志で作る実行委員会(小西利夫委員長)が素行の命日(9月26日)にちなんで開く。「赤穂義士の心を育てた教え」をテーマに記念講演とパネル討論のほか、素行研究の第一人者だった故平尾弧城氏の遺品展示会を行う。「全国素行会」(井上順理会長)の会員など約2000人の参加者を見込み、交流会も催す。
同実行委員会は「忠臣蔵の原点であり、赤穂義士の心を育んだ偉大な人物。その功績を広めたい」とフォーラムへの参加を呼びかけている。
詳しい問合せは同実行委員会事務局Tel43・2727(赤穂商議所内)まで。行事予定は次のとおり。交流会を除き、参加無料。
〔9月26日〕
▽山鹿素行祭=大石神社(式典・午前10時、解説・午後1時半)
▽国史跡・赤穂城跡散策=赤穂城跡山鹿素行銅像前(午後2時)
▽平尾弧城氏遺品展示会=赤穂市文化会館展示室(午後1時〜7時)
〔9月27日〕
▽全国フォーラム=赤穂市文化会館大ホール(午後1時〜4時)
▽平尾弧城氏遺品展示会=赤穂市文化会館展示室(午前10時〜午後3時)
▽交流会=同会館展示室(午後5時半〜7時)
関連サイト:
掲載紙面(PDF):
2009年9月12日(1863号)1面 (7,783,497byte)
コメント
サヨさんの”戦前の「皇国教育の蒸し返し」にほかならんよな”
というご指摘、私もアンチ忠臣蔵から入りましたので、よく分かり
ます。
戦前、軍国主義に利用されたのが楠木正成と忠臣蔵です。
戦後、民主主義・平和主義国家になっても、忠臣蔵は復活しまし
た。それを史料を元に考えました。
(1)武士(指導者)として言動に命を懸ける(山鹿素行の教え)
(2)主君の恥辱をそそぐために命を懸けて、討ち入る(忠臣蔵)
(3)その行動を庶民・学者・旗本・大名が支援する
以上3点のみでは、サヨさんが指摘する戦前と同じ図式ですね。
私は、第4を追加して、素行・忠臣蔵を考えています。
(4)赤穂浪士は、水戸黄門ですらできなかった将軍の決定を変更
させた(喧嘩両成敗)。つまり、反権力の要素をもっている
*追記:吉良上野介を治療した栗崎道有の記録に「只今ハ療治被
仰付之沙汰ニハ不及」とあり、幕府の決定は喧嘩両成敗だったこ
とが分かります。
事実を中心に、是々非々主義で行きたいですね。
投稿:是々非々 2009年10月03日
9月27日から29日にかけて、この記事に投稿されたコメントが削除された状態になっていました。ホームページのメンテナンス時に操作を誤ったことに気付き、復旧しました。ご迷惑をおかけしました。
投稿:赤穂民報 2009年09月30日
戦前の「皇国教育の蒸し返し」にほかならんよな。
投稿:サヨです。 2009年09月16日
「義士精神」と現議長や元副議長等のプラット赤穂へのボートピア誘致活動、市長の曖昧な態度等赤穂市は
「羊頭狗肉」の町ですか!
投稿:赤穂浪士 2009年09月14日
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