2010年03月06日
陪審員、人力車税など時代を感じさせる言葉が紙面に登場する「尾崎村報」
昭和初期に当時の尾崎村が発行した広報紙「尾崎村報」がこのほど地域の民家で見つかった。市の所蔵庫に保管されていない号も含まれ、史料を整理した「尾崎を語る会」副会長の郷土史家、上杉太郎さん(67)は「その時代の村政や人々の暮らしぶりをうかがい知ることができ興味深い」と話している。
「赤穂市史」によると、尾崎村は明治22年に村制施行。昭和12年に赤穂町、塩屋村、新浜村と合併するまで存在した。
今回見つかった村報は昭和2年8月15日発行の第2号など計22号分。うち8号分はこれまで所在が確認されていなかった。
B5判に近いサイズで、月1回発行だったとみられる。初期は手書きのガリ版刷りで、第10号から写植印刷。税制変更や村予算の広報などのほか、小学校出席率の地区別ランキング、入営志願を促すための徴兵適齢者名簿も。チフスの発生状況、地区で流行していた眼病「トラコーマ」の発症者数といった衛生面の記事も多い。
自動車税の増税と人力車税廃止(8号、3年2月)、当時の裁判で導入されていた陪審制度の陪審員候補者(31号、5年12月)などは時代を映す内容。6年3月の33号には、児童増に対応するための尾崎小校舎新築移転用地として塩田跡2町歩を購入する告知と、土地買収費として4000円が記載されている。
昭和初期の自治体広報紙は町村合併や戦争の混乱で散逸している場合が多い。上杉さんは「創刊号など未発見の号を持っている人があれば、ぜひ知らせてほしい」と呼びかけている。
[ 文化・歴史 ]
掲載紙面(PDF):
2010年3月6日(1885・1886号)1面 (14,306,337byte)
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