2010年03月13日
地元出身の文人を称えようと建てられた里村欣三顕彰碑
寒河出身の小説家、里村欣三
戦前にプロレタリア作家として認められ、後に従軍記者として戦死した里村欣三(1902−45、本名・前川二享=にきょう※注)の顕彰碑が出生地の備前市日生町寒河に建てられ、13日に除幕式が行われた。
旧家の二男に生まれた里村は中学を中退後、労働運動に没頭。徴兵を忌避して満州を放浪した。帰国してプロレタリア作家として作品を多数発表。満州での体験を基に書いた小説「苦力頭(クーリーがしら)の表情」で世に出た。「北ボルネオ紀行−河の民」は秀逸な紀行文学として評価が高い。
子どもを学校へ通わせる手続きのため、33歳で徴兵忌避を自首。兵役につき、井伏鱒二、海音寺潮五郎らと同じく陸軍報道班員に徴用された。従軍作家として名声を得たが昭和20年2月、玉砕寸前のフィリピン・ルソン島で壮絶な戦傷死を遂げた。
すぐれた文学作品を残しながら、“転向作家”と偏見の目で見られ、故郷でも忘れ去られつつあった里村に光を当てて名誉を回復しようと、昨年10月に地元有志9人が顕彰会を発足。生家からほど近い寒河コミュニティセンター前の花壇に石碑を建てた。「この世のすべてが嘘であっても、私は人を信じて生きて行きたい」と里村が残した言葉を長女の石墨(いしずみ)夏子さん(76)=山形県米沢市=が揮毫して碑文に刻み、略歴の解説板をはめ込んだ。
除幕式は里村の生誕日に合わせて行われ、地元住民ら約100人が集まった。石墨さんら親族6人と里村の最期に同行した今日出海(こん・ひでみ)氏(初代文化庁長官)の長女で中央大名誉教授の今圓子(まどこ)氏(77)も参列。長年里村研究を続けてきた元立教大講師の高崎隆治氏(84)=横浜市=が「里村欣三−こんな男が日本にいた…」と題して記念講演し、座談会では「帝国主義者でもマルキシストでもなく、自由が人間にとって最も大切なものと考えた人」と人物像に思いを巡らせた。
顕彰会の田原隆雄会長(65)は「数奇な運命により誤解されていた人物。郷土の誇るべき文人として正しく語り継いでいきたい」と話していた。
※注釈=本名の「享」の字は「亨」とする説がありますが、昭和9年の在郷軍人名簿の写しなどを参考にしました。
[ 文化・歴史 ]
掲載紙面(PDF):
2010年3月20日(1888号)4面 (7,925,970byte)
コメント
※コメントは投稿内容を赤穂民報社において確認の上、表示します。投稿ルールを遵守できる方のみご投稿ください。