2012年02月10日
▼正義を愛し名節を重んずる者は暫くここに歩を停めよ−。これは大石内蔵助ら義士17人が切腹した旧細川家下屋敷跡に掲げられている銘板の書き出しである
▼「切腹の地」は庭園だった当時の面影を残すように庭石を配して保存され、300年以上経った今も訪問者の心を揺さぶる。各時代で保存に尽力した人たちのおかげだ
▼保存の流れを生み出したのが、元禄当時の藩主、細川綱利(1643−1714)だ。自刃した17人を「我家の守り神」と称え、切腹が行われた庭地を据え置いた
▼義士の接伴役を務めた同家家臣の堀内伝右衛門は大石内蔵助ら17人の遺髪を持ち帰り、自家の菩提寺である日輪寺(熊本県山鹿市)に遺髪塔を建てた。同寺でも毎年2月に「義士まつり」が営まれている
▼主催する山鹿温泉観光協会によると、以前は2月第一日曜日に行っていたが、「義士が自刃された日を大切にしたい」と3年前から命日に固定したという。“忠臣蔵のふるさと”である赤穂も、「2月4日」を大切にしたい。
[ コラム「陣太鼓」 ]
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掲載紙面(PDF):
2012年2月11日(1979号)1面 (9,409,430byte)
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