2012年05月19日
昭和11年に赤穂尋常高等小学校が刊行した「教育概要」
裏表紙に印刷されている、当時の校章とみられるマーク
赤穂小学校の前身にあたる戦前の赤穂尋常高等小学校で、教育方針を周知徹底するために刊行された昭和11年の小冊子について、所有者の郷土史家、久保良道さん(74)=有年原=がこのほど研究論文をまとめた。小冊子には学校経営方針について、「皇国の使命を擔うて立つべき國民の養成」などの記述がみられ、当時の社会情勢を色濃く映し出している。
題名は「教育概要」(縦19センチ、横13センチ、206ページ)。著作兼発行者は当時の学校長、正木栄治郎氏。久保さんの亡父で矢野国民学校の教員だった良一さん(昭和20年戦死)が出征前に身辺整理した書棚に残っていた。市教委、小学校にも現存しておらず、当時の学校運営の実情を知る貴重な資料といえる。
▽方針▽訓練▽施設など7つの章で構成され、学校沿革、児童数といった基礎データから各科目の教育要点まで詳細に記述している。尋常科と高等科の計8学年で計1374人が通学。毎日の朝礼でラジオ体操を行い、児童と職員全員で雄鷹台山へ月1回登っていた。高等科の国語には楷書、行書に加えて草書も習得項目に挙がっている。
保護者825人を対象にした生活様相についてのアンケート結果も収録され、▽ラジオ聴取165人▽電話架設72人−など、その頃の家庭の暮らしぶりもうかがえる。一方、生活心得に「朝は早く起き、夜は早く寝なさい」とあり、現代と変わらない面も。
裏表紙に印刷されている校章と思われるマークは「赤」の字をかたどった意匠に大石家の家紋「二つ巴」を配したデザイン。その他、随所に義士教育を積極的に取り入れていたことが見て取れる。また、校訓(強く、正しく、仲良く)が明治天皇の詠んだ和歌に由来することが詳しく解説されている。
久保さんは小冊子について、「当時の学校教育の方向性を定めたもので、他の小学校にも影響を与えたのではないか」と推測。「こうした動きが後の国民学校へと引き継がれていったのだろう。同年代の他の記録と照らして、さらに昭和時代の学校像を明らかにしたい」と考えている。
久保さんがまとめた研究論文は加里屋の市立民俗資料館で無料配布している。なくなり次第終了。Tel42・1361。
[ 文化・歴史 ]
掲載紙面(PDF):
2012年5月19日(1991号)1面 (6,734,755byte)
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