2012年12月13日
再建した塩作り体験施設から届いた気仙沼の天然塩
気仙沼市波路上に再建された塩釜。観光協会の職員とボランティアがレンガを積んで完成させた
江戸時代に赤穂から塩作りが伝わったとされる宮城県気仙沼市波路上(はじかみ)で、東日本大震災の津波被害に遭った塩作り釜を階上(はしかみ)観光協会(辻隆一会長)が再建。「復興支援への感謝の気持ちを伝えたい」と、新しい釜で作られた天然塩約1・5キロが13日、赤穂市役所に届いた。
13日午後5時から加里屋の花岳寺門前広場で振る舞われるニラ雑炊の味付けに一部を使用し、14日の赤穂義士祭でも披露される。
太平洋に面した波路上では古くから塩作りが行われ、仙台藩の御塩場があった。史料によれば、天和3年(1683)、藩の許可を得た3人が赤穂を訪れ、生産効率にすぐれた入浜式製塩法を習得。浜子2人と浜大工を連れ帰り、大規模な塩田を開いたという。
波路上塩田は流通体系の変化で明治9年に閉鎖されたが、15年ほど前に地元の遠藤伊勢治郎さんが塩作りの復活に挑戦。趣旨に賛同した観光協会が市施設の敷地内に木小屋と塩釜を設けた。山から切り出した薪で海水をじっくり煮詰めて作られた粉雪のような塩は「伊勢治郎のこだわり塩」として人気を集めたが、昨年の東日本大震災で施設は全壊。遠藤さん(当時81)も津波に襲われて帰らぬ人となった。
「伊勢治郎さんの遺志を途絶えさせてはならない」。観光協会は今年7月、NPOと県の助成を受け、元の施設から東へ約700メートルの民宿跡地に木造平屋建ての塩作り体験棟を着工。職員とボランティアがレンガを手積みして塩釜の土台を築いた。先月23日にお披露目式があり、関係者で完成を祝った。
赤穂市は震災後、関西広域連合の復興支援で市職員を気仙沼市へ派遣。昨夏の「市民の夕べ」を自粛して復興支援金を送り、この夏には青年会議所が「折り鶴アート」を贈った。今回届いた塩は施設再建後、最初に出来上がったもの。「赤穂のみなさんに一番に報告したかった」と、天日干しを終えてすぐに宅配便で発送したという。
思いのこもった塩は「雑味がなく、マイルドでやさしい味」(永石一彦・産業観光課長)。「塩は気仙沼と赤穂をつなぐシンボル。これを機に、さらに交流を深めたい」と話している。
[ 社会 ]
掲載紙面(PDF):
2012年12月15日(2018号)1面 (8,430,878byte)
コメント
時空を越えた縁ですね
投稿:遠くて近い 2020年03月24日
気仙沼生まれ・宮城県在住です。先週、気仙沼に墓参りに行き、本家の人からご先祖は江戸時代に
赤穂から塩づくりのため呼ばれた、と聞かされとても興味を持ちました。ファミリーヒストリーですね。
この記事で確信が持てました。ありがとうございます。
投稿:斎藤賢治 2020年03月24日
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